音楽

2020年07月04日

【音楽レビュー】ジョン・レノン「imagine/イマジン」についての一考察 ~単なる夢想主義なのか?~

理想主義と現実主義が交差する名曲、ジョン・レノン「イマジン」一考察



 ●ジョン・レノン「イマジン」の思い出
 ジョン・レノンの名曲「イマジン」。この曲は筆者が中学生時代の頃、英語の先生に授業内で紹介され、歌詞の文法上の説明から始まり、少々英語の授業の内容から外れて、先生独自の「イマジン」論を展開された思い出がある。大多数の生徒は世代を離れた曲の紹介に少々退屈そうだったものの、当時ビートルズをかじっていた筆者は、ジョン・レノンの名曲として知っていたので、興味深くその話を聞いていたものである。
 さて、この記事では、当時の英語の先生に習い、それを思い出してたどりつつ、筆者自身の「イマジン」論を展開してみたい。


●現実主義と理想主義の交差、イマジン(imagine)

 ジョン・レノンのイマジンの歌詞は、ジョン・レノン自身をして「You may say I'm a dreamer…(君は僕を夢想家だと言うかもしれないけど…」としているように、国など無く、戦争もなく、人類みな兄弟であるという確かに夢想的な理想主義が展開されている。しかし、それと同時に、曲の書き出しから始まるように、「Imagine there's no Heaven(想像してごらん、天国など無く…)」そして「No Hell below us(僕らの下には地獄もない)」さらに、「Above us only sky (僕らの上にはただ空があるだけ)」と、ジョン・レノンが生きるであろう西欧社会の、キリスト教的世界観をはっきりと否定する、いわば現世主義的、現実主義的な価値観も並列しているのだ。
 「Imagine there's no countries (想像してごらん、国家など存在しないのだと)」「And no religion too (そして宗教もない。)」という様に、国家という概念と、宗教を同時に否定しているのだ。この様に、イマジンは単なる理想主義的なアナーキー論ではなく、痛烈な社会否定に終始している。いわば痛烈なまでの現実主義と理想主義の交差がなされた曲なのだ。
 このような現実主義と理想主義の交差からは何が読み取れるか。それは壮大な理想を目指すならば、現実をはっきりと認識しなければならないということを、ジョン・レノンははっきりと思考し、歌詞に起こしているのである。ジョン・レノンはただお花畑のような楽園を夢見る単なる「dreamer」ではなく、天国も地獄もない、そんな現世主義的世界観において、更に現段階の現世をも批判するのだ。夢想家どころか、極めて厳しい立場において悟りの境地を目指す、まるでブッダの説いた世界観のようではないか。
 ジョン・レノンがイマジンを歌った70年代は、ベトナム反戦運動が色濃い時代であった。それと同時にヒッピームーブメントの台頭のような、ややお花畑的にすぎるような理想主義的な論も展開された。
 しかしジョン・レノンの理想主義はひと味もふた味も違う。ジョン・レノンの反戦のメッセージは、安易に今行われている戦争の否定のみならず、究極的に戦争が無くなるために、私有財産を否定し世界を分かち合う事を目的とする。飢えて欲張り奪い合う戦争が無くなるためには、国が無くならなくてはならない。国がないためには、宗教が無くならなくてはならない。宗教が無くなるためには、人々が天国とか、地獄とか、安易な救いの手段を捨てなければならない。理想主義を極めて理路整然と語っているのだ。これが革命的でかつ衝撃的な曲でないと一体誰が言えるであろう。

イマジン (2010 Digital Remaster)
EMI UK Beatles
2010-10-04




このエントリーをはてなブックマークに追加
voiceofdrone at 17:14|PermalinkComments(0)

【CDレビュー】大槻ケンヂとめぐろ川たんていじむしょ,大槻ケンヂと絶望少女達「愛がゆえゆえ/あれから(絶望少女達2020) 」~「かくしごと」新世代と、帰ってきた絶望少女達~

愛がゆえゆえ/あれから(絶望少女達2020)
大槻ケンヂとめぐろ川たんていじむしょ/大槻ケンヂと絶望少女達
エイベックス・ピクチャーズ株式会社(Music)
2020-06-17


 今回紹介するCDは、大槻ケンヂ氏とテレビアニメ「かくしごと」のコラボレーションシングル、大槻ケンヂとめぐろ川たんていじむしょ,大槻ケンヂと絶望少女達の「愛がゆえゆえ/あれから(絶望少女達2020)」だ。
 「さよなら絶望先生」と大槻ケンヂの大ファンである筆者にとっては、大槻ケンヂと絶望少女達が2020年の現在に再び集結し、その新曲を聞けることにまさに欣喜雀躍である。また、大槻ケンヂとめぐろ川たんていじむしょと銘打たれた、「かくしごと」メンバーとのコラボレーションという新たなる形での大槻ケンヂの新曲も、新鮮な気分で聴けて、まったく嬉しい限りであるシングルであった。
 今回のCDレビューでも、一曲づつ筆者の感じた印象を書いていきたい。

●愛がゆえゆえ
 爽やかな曲調の「かくしごと」をイメージした曲である。
かくしごとそれは何故・・・」から始まる軽快に韻を踏んだ「それは愛がゆえ」という歌詞も気に入ったし、まためぐろ川たんていじむしょのメンバーたちの可愛らしく美しい声も、聴いていて心地よかった。
 声優と大槻ケンヂとのコラボレーションも、思い起こせば随分前から行われてきたが、流石と言おうか、大槻ケンヂと声優たちがお互いがうまく調和し合った、掛け合いのような歌詞は聴いていて気持ち良い限りである。
 筆者が特に気に入った歌詞は、「愛につまずく何故?人の期待は重いゆえ」という部分。愛のゆえに人は過ちをおかし、あるいは愛に教えられ、愛のゆえに幸せを追い求めるのだ。

●あれから(絶望少女達2020)
 待ってました、「大槻ケンヂと絶望少女達」。イントロから早速の木村カエレの絶叫が、ああ帰ってきたなあ!という懐かしくも嬉しい気持ちを盛り上げる。
 歌詞も、2020年というまさに「あれから」時がたった現在において、みんなそれぞれ様々なものが変わったという事を印象付けながら、変わらないものもあるということが歌われていて、思わず感動。本当にあれから僕らにも、色々あったのだ。変わらないと思いながらも、それでもいろんな事が変わっていて、時は経ったのである。
 「絶望した日々があったからこそ今思うよ」「絶望に落ちたことあったからこそ、今わかるよ」本当に、筆者自身の鬱屈した絶望した日々、それを思い出して、正直ちょっとブルーにもなる。けれどこの曲は言ってくれる。「生きてるだけでグッジョブ!」

 その他にも「それカルトかなんかの勧誘?」などと大槻ケンヂ節が炸裂していて、これだよ、これ!と思わず口走ってしまった。歌詞の全体をみると、絶望先生の、「人として軸がぶれている」、「空想ルンバ」、「林檎もぎれビーム!」そして「さよなら!絶望先生」、「メビウス荒野~絶望伝説エピソード1」の歌詞がまとまった、まさに2020年における総集編といった趣きである。
 大槻ケンヂと絶望少女達の曲の特徴である、前衛的ながらもメロディアスな疾走感のある曲調も聴いていて小気味よく、もちろん大槻ケンヂと絶望少女達の息もぴったりで、長年の信頼関係を感じられる。
あれからよりこれから!
 本当に筆者も、絶望が先生になって、色々なことを教えてもらったものである。



このエントリーをはてなブックマークに追加
voiceofdrone at 15:57|PermalinkComments(0)

【CDレビュー】上海アリス幻樂団「蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise」~ダークで重厚な魅力のある音楽世界~







「蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise」の魅力


 今回CDレビューとして紹介するのは、「東方Projectシリーズ」で有名なZUN氏主宰の上海アリス幻樂団による音楽CDシリーズの初めての作品「蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise」、通称「蓬莱人形」だ。
 東方Projectシリーズのファンである筆者だが、特にこのアルバムの完成度は高いと評価している。重厚でダークな、どこか懐かしさを覚えるような、色とりどりの幻想的な音楽の数々が揃ったこのアルバムはファンであるという贔屓目を抜きにしても一つの音楽作品として素晴らしい作品と言えるであろう。全体的に魅力的な音楽が多く評価にあたって甲乙つけがたい上海アリス幻樂団のゲームシリーズ、そして音楽CDシリーズの全ての作品の中でも、少なくとも筆者が一番に挙げるとするならば、この蓬莱人形である。
 なお入手にあたって、このCDには、2002年8月のC62にてCD-R版としてリリースされた通称「初版」と2002年12月のC63にて発表されたプレス版が存在する。前者の「初版」と呼ばれるバージョンは、流通数が非常に少なく、ファンの間ではコレクターアイテムとして高値で取引されている。一方、今日でも容易に手に入るのは、後者のプレス盤である。「初版」とプレス盤では、収録されている音楽に差異はなく、アルバム・ジャケットとブックレットのコメントとが異なるのみ(とはいえファンにとっては貴重なので、だからこそ高値で取引されているのだが)なので、今日このCDを買ってみたいと思う方は、安心して流通しているプレス盤を購入してほしい。また、現在ではiTunesやGooglePlayMusicからも配信されている。
 さてこのアルバムの特徴であるが、東方Projectや上海アリス幻樂団について知らない方、または東方Projectについて若干の知識はあるが、例えば「旧作って何?」と思うような方に向けて解説すると、上海アリス幻樂団による東方Projectと呼ばれるゲームシリーズにはPC-98にてリリースされたいわゆる「旧作」シリーズと、Windowsにてリリースされている現行のシリーズとに分かれており、設定や雰囲気などに差異がある。この蓬莱人形は、その旧作と現行シリーズのちょうど過渡期にリリースされたCDであり、雰囲気的には旧作の香りを残しており、実際旧作シリーズのBGMのアレンジ版も収録されている。上記にも少し書いたが、この蓬莱人形の全体的な特徴は、重厚なゴシック的なものであると言える。軽快な音楽もあるが全体的にはかなりダークな雰囲気で、やや暗く、もの悲しさ、あるいは荘厳ともいえる重厚な音楽が特徴的だ。以下にこの蓬莱人形に収録されている音楽をそれぞれレビューしていく。

1.蓬莱伝説
 このアルバムの導入を担う、アルバムのタイトルとも言えるこの楽曲は、おとぎ話の始まりのような、心に響く音色で始まる。全体的に和風色が強いが、所々で洋の雰囲気も感じるような、和洋折衷というには和のテイストが強めであるが、まさに和洋が入り混じった、東方Projectの舞台である幻想郷にゆっくりと旅立つような、そんなテイストの楽曲である。

2.二色蓮花蝶 ~ Red and White
 前トラックの蓬莱伝説からは一転して、軽快で軽やかな曲である。サビの疾走感、繰り返されるメロディは、王道の、東方Projectを体現するようなシューティングゲームミュージックである。なお、タイトルのRed and Whiteというサブタイトルからもわかるように、この曲は東方Projectシリーズの主人公の一人である巫女、博麗霊夢のテーマ曲の一つとして作られている。ZUN氏いわく、巫女をテーマにした曲なのだが、どう考えても巫女っぽくない曲であると述べているが、博麗霊夢も巫女なのに巫女っぽくはないので、ある意味イメージ通りなのかもしれない。

3.桜花之恋塚 ~ Flower of Japan
 まさに和風、という曲。ピアノが軽快な、桜の花びらが舞い踊るような曲調である。柔らかで落ち着ちついたシックな印象を受ける。明るく楽しくて、筆者もかなり好きな曲である。好きなのだが、不思議な事に、何か上手く言い表せない、それがこの曲の深みなのだろうか。筆者の貧弱な語彙力で言い表すならば、花びらが舞う花の庭園をイメージさせてくれるような、そんな曲である。

4.明治十七年の上海アリス
 筆者の中で東方Projectシリーズでトップを争うほどの大好きな曲である。
 明治十七年、西暦にすれば1884年、東洋のパリとも謳われた上海租界の外灘という新古典主義の西洋建築が建ち並ぶ場所の、重厚かつ華やかで光が踊り煌めく夜の底を駆けていく姿が思い浮かぶような、洋風でありながらどこか東洋らしくもあるまさに東洋のパリ、上海を表したような、重厚なゴシックで威厳すら感じさせる、底なしの深みがある曲である。上海アリス幻樂団というサークルの上海アリスという名前が入ったこの曲は、あるいはまさに上海にて、アリスの幻樂団によって演奏されている曲なのだろうか。
 なおこの曲は、東方紅魔郷の三面ボス、紅美鈴のテーマ曲としての方が有名であるが、じつはこの曲がオリジナルであり、東方紅魔郷の方はアレンジである。

5.東方怪綺談
 この曲はまあ、一聞するとYMOのアレである。しかしながら、この曲は、ZUN氏が東方Projectシリーズを始めるきっかけともなった原点とも言える曲のアレンジであり、歴史が深いものである。また楽曲としても決してオリジナリティに欠けるものではなく、音の使い方からは、ZUN氏独特のものが色濃く現れているし、まさに妖怪変化が現れる怪綺談といったような趣きが表現されていると感じられた。

6.エニグマティクドール
 エニグマティクドール。直訳すると不思議の人形だそうである。非常にお洒落な曲で、ピアノのメロディが美しい。エニグマティク、得体のしれないという意味もあり、確かに掴みどころのなく、この曲についてイメージが掴めて分かったと思ったらそのイメージをするりと交わすような、そんな生き生きとした不思議さがある。

7.サーカスレヴァリエ
 この曲を聴いて思うイメージは、人を弄ぶような変幻自在のパフォーマンスを行う、そして少々危険な匂いがするサーカス団である。切なげであるが、切ない曲であると思うと、盛り上がりを見せ、盛り上がりを見せたと思ったら切なさをこみ上げさせてくるような、妖しげで寂しげな不思議なサーカスである。哀愁漂うサーカスのピエロにうっかり同情すると、たちまち恐ろしい形相をするような、そんな予感のする曲である。

8.人形の森
 タイトル通り、首吊りの死体が吊られていそうな鬱蒼とした恐ろしげな暗い森を歩いていると、遠くから人形遣いの奏でる不思議なメロディが聴こえてくるような曲である。近づくと遠ざかり、遠ざかると近づくような、そんな蜃気楼のような不思議なメロディが聴こえてくるような心地がする曲である。

9.Witch of Love Potion
 先程明治十七年の上海アリスが、東方Projectシリーズでトップを争うほど好きな曲であると述べたが、この曲は筆者の中ではそれと双璧をなす曲である。魔女の惚れ薬、甘くてほろ苦い、危険な劇薬の香りに酔いしれたかのような、空中をふわふわと歩いているかのような浮遊感、そんな浮遊感を味わいながら、どこか切なげで懐かしさを感じるメロディラインに、筆者はすっかり惚れ込んでしまった。もうずっと前に出会った曲だが、何度聴いても飽きない中毒的な作用がある曲である。

10.リーインカーネイション
 リーインカーネイション(Reincarnation)、転生という意味である。リズム感が心地よいメロディをゆったりと駆け抜け、そしてサビの、生まれ変わった新たな喜びを表すかのような盛り上がりは、聴いていて非常に脳内物質が出てくるようである。はっきりと目が覚めるような曲。

11.U.N.オーエンは彼女なのか?
 恐らく東方Projectでも1,2を争う知名度を誇る東方紅魔郷のフランドール・スカーレットのテーマ曲のアレンジである。閉ざされた密室の中でぐるぐると回りながら展開される美しくも恐ろしい惨劇を思い起こさせるようなショッキングな色の撒き散らされた血糊のような過激さ、正体不明のアンノウンが、周りをケタケタと笑いながら聞き手を弄ぶような名曲である。
 なおこのアレンジを原曲と同時再生するのはおすすめしない。とてつもなく不気味な不協和音となる。あるいはそれがこの曲、ひいてはフランドール・スカーレットというキャラクターの狂気を示す真の姿なのかも知れない。

12.永遠の巫女
 曲の頭の雨音、あるいは筆者には拍手の喝采のようにも聞こえる。幕の降りかけた舞台の裏で、演者が役割を演じきって深々と頭を下げながら、深い深いため息をついているような、そんなイメージである。あるいは雨の降りしきる中、永遠というタイトルが示すように、循環するメロディラインが、繰り返される物語を示し、あるいは激しい曲調はそれの終焉を示すかのような、焦燥感に駆られる曲である。このアルバムの中でもトップクラスにダークで、重厚な曲であると思う。
 すでに同じことを言って三度目だが、筆者にとってこの曲は東方Projectの中でトップを争う曲の一つであり、このアルバムだけで筆者の中でトップを争う曲が、明治十七年の上海アリス、Witch of Love Potion、そしてこの永遠の巫女と三つ鼎立していることになる。
 なおこの曲は、東方Projectの旧作の第一作目、東方靈異伝の曲のアレンジであり、ZUN氏も原点であり、自分にとっても衝撃的だった曲と述べている。

13.空飛ぶ巫女の不思議な毎日
 この曲もまた、博麗霊夢をイメージした曲であろう。掴みどころのない、変化する曲調は、博麗霊夢というキャラクターを象徴したようである。飄々とした部分もありながら、哀愁が漂う場面もあり、深い歴史、あるいはまさに不思議な毎日を表すかのような、ふわふわと空を飛ぶ無形の雲のような変幻自在の曲である。
 東方Projectのキャラクターを深く知りたいならば、そのキャラクターのテーマ曲を聴くのが一番の近道だと筆者は思うが、その中でも博麗霊夢というキャラクターを知りたいならば、この曲をきいて、そして知るどころか余計にわからなくなる。それこそが博麗霊夢なのかもしれない。


このエントリーをはてなブックマークに追加
voiceofdrone at 15:09|PermalinkComments(0)

2020年07月02日

【音楽と記憶】音楽に付随する記憶が、音楽を自分だけのものにする

 NO MUSIC NO LIFEと言われるように、筆者も音楽を聴くことが趣味で、あらゆる場面で音楽を手放せない日々を送っている。音楽の楽しみ方は人それぞれ、音楽が人生の中でいかほどの価値を占めるかという事も人それぞれであるが、時にはアーティストの手を離れ、世に出た楽曲がアーティストにとっても視聴者に思いも寄らない形で価値を見いだされているという事もあるのではないだろうか。音楽とは聞けば聞くほど深みが増すものであるが、ある人が何年、あるいは何十年もの間に渡って聴き続けた曲というものには、その視聴者だけのその楽曲にまつわる若い頃の様々な記憶であるとか、色とりどりの情念が付随した、もはや既製品としてのCD音源を離れた世界にただ一つの、もはやある種オリジナルの楽曲として親しまれている事もあるのではないだろうか。
 筆者も、あるロックバンド、具体的な名前を挙げると筋肉少女帯というバンドの「戦え!何を!人生を!」という楽曲を聞くと、ちょうど大学に入学した時の時分、故郷の田舎を離れ関東に出てきて、一人暮らしを始めた時によく、坂の多い町の急な斜面を登っていくときに汗をかきながらその曲を聞いていたものだから、今日をしてその曲からは、まだ慣れなかった町の雰囲気と新鮮に感じたその町の匂いのようなものと不安だった時の記憶などがごちゃまぜになったものがこみ上げてきて、なんとも言い難い感覚に陥ることがある。
 あるいは、高校時代、筆者の鬱屈した青春時代に、すがるように聴き続けたThe Beatlesの楽曲を聴くと、当時は英語の歌詞も知らず聞き取れなかったのに、そこにはカッコつけたかった自分、なりたいものになれなかった自分、やりたいことを出来なかった自分、色々な自分だけの情念が染み込んだ、自分の頭の中でのみ演奏される世界にただ一つだけの音楽が仕上がっているのである。あるいは、同じく高校時代に世代にも合わずに聴き続けていた尾崎豊の楽曲も、鬱屈とした自分の感情を代弁してくれているかのような当時聴いていた尾崎の歌声が、あるいは深夜に受験勉強に疲れ、うとうととしていたときにたまたまラジオからかかってきて、眠たい脳内に染み込むように不思議な感じで流れてきた井上陽水の「帰れない二人」とか「いっそセレナーデ」とかが、今日において聴くたびにも色々な当時の感情が昨日のことのように色鮮やかに思い出されるようである。
 こだわって選びぬいた品を何年も長く使い込み、自分だけの色合いを出すということは、男にとってある種の憧れであり目標であると、巷でよく言われる。そして、それはなにも物質的なものだけでなく、映画だとか音楽だとか、そういったものにも、何年も付き合っているものには、自分なりの愛着がわき、ますます自分の心に自然と溶け込み、染み入ってくる。そんな感情が、今まで歩んできた人生の確かな足跡として、喜びとして、感じられるのである。


このエントリーをはてなブックマークに追加
voiceofdrone at 13:11|PermalinkComments(0)