2020年07月11日

【エッセイ】自然の美の無遠慮で限界のない完全性 ~朝焼けの中のコントラストと初日の出の体験~


 夜が終わり朝が登ってくる瞬間、東の空がオレンジ色を帯びてきて、西の夜のブルーと混ざりあった澄んだエメラルド色にも近いオレンジとブルーのコントラストほど、美しいものはそうは無いと言える。これが見られる時間は季節によって違うのだが、概ねわずかな間であり、たまたま偶然に早くに起きて、立ち会えるという事がほとんどである。そのほんの一瞬の美が自己の中でこだまして、何度も繰り返されるのが、とてもとても長い時間のように感じられ、それが本当に美しいものを見るということの素晴らしさだと筆者は思う。

 思えば、自然というものはなんて美しいのだろう。
 いつだったか、故郷の凍てつく元旦の朝、線路脇の道路から、ずっと初日の出が見られるのを待っていた。その日は本当に冷え込んで、氷点下の早朝に、薄い外套一枚羽織り、30分以上も待っていたから、足は冷え切って、凍傷になるんじゃないかと本気で思ったほどである。しかし、その時間は無駄ではなかった。

  山間の隙間から、光が溢れた。それはまさに息を呑む美しさであった。カメラを持ってきていたが、写真を取ろうなどという気にはならなかった。そんな事をする余裕があるなら、一刻も長く、この溢れる美に目を凝らしていたいと思ったのだ。
 陽はだんだんと登って、山の輪郭からいよいよ形を表そうとする頃には、黄金色の中にあらゆる色が凝縮されたような、凄まじい閃光を放ち、真円を描こうとしていた。
 世界の地域によって太陽を表す色は違うというのもよく分かる。まさに陽の光はあらゆる色を含んでいるのだから。黄金より美しい黄金色はまさに調和と鮮烈の相反するものを伴った矛盾する美であった。このような矛盾がなし得るのは、まさに自然の業であろう。
 筆者は半ば我を忘れ、この美を心に焼き付けなければならないという使命感のもと、元旦の太陽をいつまでも見ていた。結局一時間以上も寒空の下にいたのだが、途中からは寒さなどは感じなかった。
 どんなに人類が作り出した美を揃えた大美術館に行ったとしても、このような美の体験をすることは出来ないのではないか。思うに、人間の作り出す事の出来る美にたいする称賛とは、人間が人間であるが故の限界そのものを描き出すことに対する、人間賛美の意味を込めたものではないだろうか。それ故に人間の作り出す美は美術と「美の術」と書いて、人間の理性と想像というある種の制限を伴った中での表現である。それは調和とか技術とかが整えられた美であるからして、自然の作り出す美というものとは違う。
 自然の美というのは、もっと無遠慮で、限界のない、その上で自然界の法則に基づく調和を兼ね備えた完全性である。
あの美しい初日の出という自然の人知を超えた美そのもののイデアとも言えるようなものは、今日を持ってしても、筆者の心に鮮烈に焼き付いて、この先の一生、美とは何かと問われることがあれば、真っ先にあの陽の美しさを答えるであろう。


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voiceofdrone at 07:26|PermalinkComments(0)