歴史

2020年07月10日

【最果ての土地シリーズ③】巨大島グリーンランドの不思議な歴史と現在 ~なぜデンマーク領なのか?~

(グリーンランドの地図、Wikipediaより引用)
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 最果ての土地シリーズ第三段でお送りするのは、巨大島、グリーンランド。面積は2166088キロ平方メートルと、日本の6倍でその85%が氷床に覆われている。地球上の真水の実に7%がグリーンランドに蓄えられている。
 世界最大の島であり、大陸の定義とはグリーンランドより大きいこと、島の定義とはオーストラリア大陸よりも小さいことである。
 さて、この凍てついた北方の地がなぜデンマーク領なのか? と、気になったことがある方も多いのではないだろうか。それを知るためには、この巨大な島の凍てつく大地に隠された長い歴史を紐解かねばならない。


定住と消滅を繰り返すグリーンランドの文化の歴史


●バイキング以前史



 グリーンランドは少なくとも紀元前2500年頃からイヌイットによる人類の定住が確かめられている。「サカク文化」と呼ばれる古代文化がグリーンランド南部において紀元前2500年頃から紀元前800年頃にかけて繁栄した。またグリーンランド北部においてもインデペンデンスフィヨルドと呼ばれるフィヨルドの周辺で発展した「インデペンデンスⅠ文化」と呼ばれる古代文化が紀元前2400年頃から紀元前1300年頃まで発展していたが、気候の寒冷化とともに消滅してしまった。また、「インデペンデンスⅡ文化」と呼ばれる古代文化がグリーンランド最北部においても紀元前800年から紀元前80年頃にかけて見られた。紀元前の時代からグリーンランド北部などという考えるだけでも凍てつくような土地に人が住んでいたというのは全く驚きである。
(インデペンデンスⅠ文化及びインデペンデンスⅡ文化の分布 Wikipediaより引用)
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その後、前期ドーセット文化、及びドーセットⅠ文化と呼ばれる古代文化が紀元前700年から紀元200年にかけて見られた。ドーセット文化はドーセット人と呼ばれる人々がグリーンランド南部において定住した文化であったが、それもやがて気候の寒冷化とともに消滅してしまった。
 この前期ドーセット文化以降はしばらくグリーンランドは無人であったとされる。


●10世紀後半、バイキングの定住

 982年頃、「赤毛のエイリーク」と呼ばれる人物がグリーンランドを探索した。「グリーンランド」の名前は「赤毛のエイリーク」が名付けたとされる。この名の由来は二つの説があって、一つはグリーンランドといういかにも緑が生い茂っている土地をイメージさせることによって入植を促進しようとした説、もう一つは中世の温暖期においては本当にグリーンランド南部には緑が生い茂っていたという説の二つがある。グリーンランドの探索後、エイリークは一度アイスランドに戻ったが、985年頃にグリーンランドに多数の植民者を連れて戻り、グリーンランドに入植した。最初の定住地はグリーンランドの南西岸、現在のQassiarsukと呼ばれる地名の付近に作られた。この定住地にはピーク時には合わせて三千人から五千人ほどの人口があったとされる。
 またこの時、イヌイットの先住民が同時期にグリーンランドにおいて後期ドーセット文化及びチューレ文化と呼ばれる文化を築いており、特にチューレ文化はグリーンランドの極地での生活に適応し、現在グリーンランドに住むイヌイットの祖先であると考えられている。バイキングとチューレ人はしばしば遭遇し、交渉または衝突した形跡が見られていいる。
 1261年に、グリーンランドの住民は故郷であるノルウェー王国に忠誠を誓う事になったが、1380年にはノルウェー王国そのもがデンマーク王国の支配下に入った。1397年のデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの三国によるカルマル同盟によってグリーンランドは同盟の領土となった。しかし、グリーンランドの開拓は気候の寒冷化などの理由から14世紀頃から衰退し始め、15世紀後半には一度消滅したものと思われている。

●デンマークによるグリーンランド植民


 15世紀後半に一度はヨーロッパ人による入植は消滅したものの、グリーンランドに対する領有権主張はデンマーク=ノルウェー二重王国によって続けられた。18世紀には再びデンマーク人がグリーンランドの植民に乗り出し、植民を行った。
 その後時代は下り、1814年のナポレオン戦争によってノルウェーはデンマークから分離独立し、この時デンマークがグリーンランドの権益を存続した。その後20世紀にグリーンランドの土地をめぐる領有権闘いがあり、1905年にスウェーデンから独立したノルウェーによるグリーンランドのデンマークに依る領有に異議申し立てをおこなったが、1933年にはデンマークの領有が認められる形で決着した。これが今日においてもグリーンランドがデンマーク領である経緯である。
 デンマークを含む北欧とスカンディナヴィアの歴史における中世からの統合と分裂によるグリーンランドにおける複雑な領有権の変遷があったこともあり、今日グリーンランドがデンマーク領であることは多かれ少なかれ偶然の産物であると言えるかも知れない。

●現在のグリーンランドにおけるデンマークからの独立志向


 現在グリーンランドはデンマークから大部分において自治を認められている。2009年には防衛と外交を除いた全ての支配権がグリーンランドに移譲され、グリーンランドは半独立状態にあると言える。さらに現在、グリーンランドでは、経済的な自立という壁があるとはいえ、地球温暖化に伴うグリーンランドの膨大な埋蔵資源の存在を背景に、デンマークからの完全なる独立を求める運動も起こっている。


グリーンランドの現在


 以外に思えるかも知れないが、グリーンランドは5万5千人もの人口がある。その大半はグリーンランドの首都、ヌークに2万人近くが集中している。少なくとも筆者はこれをグリーンランド人には失礼かもしれないが、極北のグリーンランドという地にしては、人口が多いと思った。グリーンランドに興味を持った方はぜひヌーク市のストリートビューを見てみて欲しい。大学や商業施設もあり、意外と(本当に失礼だが)都会である。
 また昨今のニュースとして記憶に新しいのは、アメリカのトランプ大統領がグリーンランドを購入する計画を興味深いと表明したことだろう。これには前述の通り、近年の地球温暖化によってデンマークの氷床が縮小し、その地下に眠っている膨大な埋蔵資源の存在が大きいと思われる。なお近年は中国企業による採掘も進められており、極北の地グリーンランドも、現在のアメリカと中国の勢力争いの一部になっているのだ。

こちらもどうぞ
「最果ての土地」シリーズタグ

参考サイトリスト
Wikipedia「グリーンランド」
Wikipedia「グリーンランドの歴史」
Wikipedia「History of Greenland」
Wikipedia「Independence Ⅰ culture」
Wikipedia「Independence Ⅱ culture」
株式会社クルーズライフ「インデペンデンスⅠ文化と先ドーセット文化」
デンマーク大使館「グリーンランドへようこそ」


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2020年07月07日

【セカイ系考察】「セカイ系」は何故流行したのか、社会的背景からの一考察 ~冷戦終結とグローバル化、変貌する私達の「セカイ」~

エヴァンゲリオン、「セカイ系」作品、の世相的、社会的背景の考察



 さて前回、【エッセイ】セカイ系とはなんだったのか~セカイ系作品の普遍性と「世界」と「セカイ」の違い~の記事においてセカイ系作品における、「セカイ」とは何か、はたまたセカイ系とはどのような普遍性を持ち合わせているのかという点について考察した。
 今回は、そもそも1995年「新世紀エヴァンゲリオン」に端を発するセカイ系作品の流行の社会的背景とはどのようなものであったかという点を現代社会の世相的な視点から考察してみたい。

一つではなかった「セカイ」~冷戦終結以前と以後~


 1991年のソビエト連邦の崩壊というのは、現在2020年から見るともはや30年前の出来事であり、すでに現在的な大ニュースではなく歴史的出来事として扱われつつある。しかし重要なのは、1991年にソビエト連邦が崩壊するまで、世界は一つではなかったという点である。ソビエト連邦を中心とした東側世界と、日本も含まれるアメリカ合衆国を中心とした西側世界。冷戦終結以前においてはそんな二つの世界が展開されていたのだ。しかしそんな状況は1991年、ソビエト連邦の崩壊によって突如として終結した。ソビエト連邦はロシア連邦とCIS(独立国家共同体)諸国へと分裂し、それ以前の1989年のベルリンの壁崩壊からも旧社会主義諸国は次々とソビエト連邦からの独立と自由経済化、民主主義化を迎えていた。そして1991年のソビエト連邦の崩壊という大ニュース。それは一夜にして、世界の半分を占める社会主義世界の崩壊したことと、旧社会主義圏の自由主義世界への参入という形で世界が統一されたことを意味していた。この時をもってして、フランシス・フクヤマ氏は『歴史の終わり』という著書にて、自由経済、民主主義の勝利という形による、強権的支配による国家の崩壊や革命といった歴史的大事件という形による歴史的大変動が起こる時代が終わり、民主主義を中心としたゆるやかな世界が展開していく「歴史の終わり」という論を唱えた。しかし2001年の911同時多発テロ事件の勃発と対テロ戦争、自由主義世界の勝利という形で迎えた冷戦終結による世界の統一は、数年にして瓦解の様相を呈していた。ただ依然として重要なのは、世界の半分を占めていた、巨大な社会主義世界が崩壊し、良くも悪くも、世界は従来的な二極分立の時代から、アメリカ合衆国による一極化を経て、グローバル化の名において、世界は従来とは全く違う形にて変化しつつある時代を迎えたという事である。
 以上、セカイ系作品とは全く関係が無いかのように思われる現代世界の変遷を書き連ねてきたが、以上のことは、セカイ系作品と呼ばれる一連の作品群が成立する前夜にあたって、1995年の「新世紀エヴァンゲリオン」というセカイ系作品のパイオニアが誕生する1990年代の社会情勢として筆者が重要であると考えている社会背景である。


新世紀エヴァンゲリオンの「セカイ」


 1995年放送の「新世紀エヴァンゲリオン」という作品は、当時から20年後の2015年を舞台としている。「新世紀エヴァンゲリオン」が作成される過程において、1990年代という世界の大変動という社会背景はどのように作品に影響したのだろうか。新世紀エヴァンゲリオンという作品は、監督の庵野秀明氏の役割による所が大きい作品である。庵野秀明氏は、新世紀エヴァンゲリオンを制作するに当たって、学生時代の「宇宙戦艦ヤマト」と「機動戦士ガンダム」を始めとする「ガンダムシリーズ」に強い影響を受けていると語っている。庵野秀明氏はアニメ製作者的な側面が強い人物であり、一見すると1991年のソビエト崩壊のような社会背景が作品に盛り込まれる余地は少ないようにも思われる。
 しかしながら、「新世紀エヴァンゲリオン」の世界観を見ると、作中2000年に起こったセカンドインパクトと呼ばれる大災害による世界の大変動と、それに端を発して形成された新たなる社会が舞台となっている。セカンドインパクトに端を発する世界中での紛争によって、実に世界人口の半分もの犠牲者を出したと語られる。この紛争が従来的な作品における終末戦争、つまり核戦争によるポストアポカリプスにまで発展せず、作中にて、大変動を経験しながらも、日本という国家が存続し続けているという点については、作品そのものの設定事情というものはもちろん存在するだろうが、やはりソビエト連邦の崩壊に伴う冷戦終結、核戦争という恐怖が薄れたことによる設定なのではないかと筆者は考察する。やや結論ありき的な考察となってしまうが、人間が作品を制作するに当たって、時代背景というものは色濃く反映され得る。そこへいくと新世紀エヴァンゲリオンとう言う作品の新世紀、つまり来たる21世紀の世界観が、従来的な冷戦という巨大な社会体制に支配された考えではなく、ポスト冷戦的な発想に基づいたものであるという事も出来るのではないだろうか。
 さらに考察を深めると、新世紀エヴァンゲリオンがセカイ系と呼ばれるにあたる主人公「碇シンジ」とヒロイン「綾波レイ」や「惣流・アスカ・ラングレー」らとの関係に基づくいわゆるセカイ系独自の「キミとボクとセカイ」的閉鎖的世界観の背景には、冷戦終結に伴う世界の一体化において、変容した世界そのものの在り方と、冷戦終結によって世界中の人々が認識した、「世界は変化・変容しうるものである」という痛烈な体験が元になっているのではないだろうか・・・というのが、筆者のセカイ系作品全体に対する社会的側面からの考察である。


セカイ系作品が流行した時代における社会背景


 いわゆる「ポストエヴァンゲリオン」的作品とも当初は呼称された「セカイ系」作品群。ではそもそも、これらの作品が「セカイ」を意識して作られた背景はどのようなものであるか・・・という点について、前述した通り、冷戦終結という体験と、2001年の同時多発テロに端を発する変わりゆく世界の在り方、ひいてはインターネットの普及とグローバリゼーションという、分裂していた世界の統合と、再び分裂しゆく世界、そして全く新しい世界が現実に展開されつつあるという事を背景として、「世界」とは絶対的にただそこに横たわる存在ではなく、あくまで相対的で可変的で、いくらでも変わりゆくものであるという体験、そしてそもそも「世界」、「セカイ」とは何か?という問いが疑問として人々に残った結果が「セカイ系」という問いに繋がり、ひいては流行に繋がったのではないかと筆者は考察する。


セカイ系作品とインターネット論


 2000年代という時代において、人々の生活にはインターネットという新たな場が登場し、急速に発展しつつあった。インターネットという現実の延長、ひいては別世界的なインターネットの存在という点からの、セカイ系における「キミとボク」的な閉鎖的世界の展開の発想という点についても興味深いと思われる。筆者のインターネット論を考察した記事【エッセイ】別世界としてのインターネットと、現実の延長としてのインターネット 【考察】においても言及したが、2000年代初頭の初期インターネットはいわゆる現実とは隔絶した別世界的なものとして展開されていたと筆者は考察した。掲示板文化などに代表されるインターネット独自の世界。その中では匿名という新たなる場においては、セカイ系作品の構図として、主観的な「ボク」の存在と、「ボクのセカイ」の目の前に広がる「その他大勢のよくわからないもの」というセカイ系の前提である状態が展開されていたのではないか、インターネットの匿名文化が「セカイ系」の構図と同調していた・・・というのは、いささか筆者の空想にすぎるだろうか。空想に空想を重ねるならば、このインターネット世界の構図には、セカイ系において必須であるヒロインである「キミ」の存在は登場しない。だからこそセカイ系における「キミ」の存在が求められた社会背景があったのではないか・・・と筆者は考察した。

終わりに

 オタク文化の考察は難しい。オタクというのは多様性を体現したような存在であり、決して一概には言えない人種であると、オタクの端くれである筆者をしても思うところであるからである。
 今回は、「新世紀エヴァンゲリオン」に端を発するセカイ系というジャンルが当時の世相に影響されていたのではないかという、いささか結論ありきな記事になってしまったが、いかがだったろうか。
 最後に駆け足で考察したインターネットとセカイ系という考察については、また機会があればより詳しく考えてみたいと思う。この記事を最後まで読んでくれた方には、筆者の空想のような考察に付き合ってくれて、本当にありがとう、と心からの感謝の意を述べたい。


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【歴史エッセイ】「ここではないどこか」にあるユートピアを目指して ~理想郷の人類史~

私がアメリカに来たのは、この国では道に黄金が敷き詰められていると聞いたからでした。
しかしここに着いて三つのことを知りました。
まず第一に、道には黄金など敷かれてはいないということ、
次に、そもそも道はまったく舗装されてさえいないこと、
そして最後に気付いたのは、この道を舗装する役目は私に課せられているのだということでした。
―映像の世紀第三集「それはマンハッタンから始まった」より―

 上記の言葉は20世紀初頭におけるアメリカ移民による、アメリカへの憧れと、その現実とのギャップについての皮肉である。19世紀から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパを始めとする旧大陸から、新大陸の新興国家アメリカ合衆国へ移民する人々が多くいた。彼らは貧困を逃れるため、あるいは戦火を逃れるため、あるいは差別を逃れるためにアメリカに渡った。しかし、実際には、ヨーロッパ移民の中でも特に「新移民」と呼ばれる20世紀初頭にアメリカにやってきた人々は、必ずしもアメリカの土地に定住することなく、もともとが単なる出稼ぎ目的であったり、あるいはアメリカの現実に失望して、かなりの割合がヨーロッパの故郷へと帰っている。
 19世紀から20世紀の動乱の時代、旧大陸であるヨーロッパの人々には、アメリカという新天地は様々な幻想をもって見られていた。「世界一豊かな国アメリカ」、「一攫千金の地」、「アメリカン・ドリーム」、そんな標語に寄せられて、多くの人々がアメリカへと移民した。しかしその実態は、ヨーロッパとさほど変わらないか、あるいはもっと酷い移民街の貧困と低賃金労働などといった現実であった。

 古代ギリシアにおいては、アトランティスと呼ばれる理想郷があったが、一夜にして海に沈んだという伝説があった。あるいは楽園伝説として、「アルカディア」という牧歌的な楽園があると信じられていた。あるいは旧約聖書の創世記においては、かつてアダムとイヴが住んだエデンの園という理想郷が説かれた。
 あるいはかつてヨーロッパ人は東の果てのどこかに、「プレスター・ジョン」と呼ばれる国王が収める理想的なキリスト教国があるという伝説を信じた。あるいは、マルコ・ポーロは東の果てに黄金の国ジパングがあるといった東方世界の驚異をまとめた『東方見聞録』に、自らの体験を綴り、その本はインチキなでたらめであるという意見もありながら、確かにヨーロッパ人に東方世界への憧れを抱かせた。大航海時代には、新大陸アメリカの発見とともに、新大陸には黄金の散りばめられた都市、いわゆる黄金郷(エル・ドラード)があるとの伝説が広まった。
 16世紀のトマス・モアは、架空の島の理想郷の物語『ユートピア』を書いた。「ユートピア」とは、「どこでもない場所」という意味である。
 東アジアにおいても、西方の遥か果てには天竺と呼ばれる理想郷があるとか、または中国には「蓬莱」と呼ばれる東の果てにある仙人が済む理想郷があるという「蓬莱伝説」があったし、桃源郷というユートピア的な隠れ里があるという伝説もあった。古代日本においても「常世の国」という海の彼方のどこかにある永久不変の不老不死国があると信じられていた。
 いずれにせよ、歴史上人々は、「ここではないどこか」に理想郷があることを信じ、それを追い求め続けたのである。それは、自らが済む国の貧困であるとか戦争であるとか、そういった現実を離れて、世界のどこかには、きっと理想的な、平和で豊かな理想郷があると、そう信じたのである。
 前述の通り、近代においても、ヨーロッパの人々は大西洋の向こうの新世界アメリカ合衆国へと理想を抱いた。今日においても、現代日本において様々な要因から日本に対して「住みにくさ」を感じる人々が、海外、または欧米、もしくは北欧といった具体的な地名が挙がることもあるが、世界の「どこか」に、時分にとって理想的な国があると信じて脱日本と海外への移住を試みるということも今日ネット上でよく取り沙汰される。あるいは、欧米人から見て、日本や東アジアの国々が理想郷として映ることもある。60年代アメリカのヒッピームーブメントでは、東アジアの「禅」の思想が理想的なものであるとして取り上げられることもあった。いわば、古代から現代まで、人々は「ここではないどこか」のユートピアを信じ続けているのだ。
 あるいはそれは人間の本能なのかも知れない。アフリカ大陸で産まれたホモ・サピエンスは、アフリカを出て世界中に歩を勧めた。氷河期のベーリング地峡を越えて、南アメリカの最南端に人類は到達した。あるいは大洋を越え太平洋の島々までにも渡った。かれらはみな「ここではないどこか」を求めて、歩みを続ける先にはきっと理想的な楽園があると信じて、移動し続けたのかも知れない。


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2020年07月02日

【書評】『歴史のなかの人びと』彩流社 ~歴史の中の個人とマスターナラティブ~


樋口映美編『歴史のなかの人びと』彩流社 書評 

 今回紹介するのは彩流社から出版されている『歴史のなかの人びと』。
 歴史に名を残したような有名人ではないものの、歴史の中に確かに生きていた人びとに焦点を当てた一冊。歴史マニアの端くれである筆者個人の考えとしては、歴史の中で有名人が主導した政治史とか、英雄たちの歴史とかに興味がないわけではないものの、より焦点を当てて考えてみたいと思っているのは、本書に書かれているような、歴史に名を残さなかった個人が、その当時の社会の中でどのように生きていたのかという生活模様であったから、本書を立ち読みして、特に第三部の「事件・出来事に見える社会」という節に興味を持って本書を購入した。ネタバレ?になるため詳細は省くが、南北戦争の動乱の時代に巻き込まれた奴隷所有主の白人一家の混乱を日記から垣間見る節では、筆者は決して奴隷制を肯定するわけではないが、奴隷制に置いて善と悪というように区分された時に悪の側となってしまう白人もまた、生まれた時代に翻弄された一人の人間に過ぎなかったのではないかという感情を抱いた。ともあれ、その人物が白人であるとか黒人であるとか、そういった色眼鏡を外して個人を見ることが、昨今アメリカで行われているBLM運動においても真に求められるべき理念なのだろうかと、個人的に思った次第である。
 また「マスターナラティブ」というキーワードが本書では重要となっている。「マスターナラティブ」とは、一般に教科書に書かれているような通説の歴史であるが、当然のことながら実際の歴史には教科書に乗らなかったものの歴史の中で活動を行った人びとが大勢いるわけである。そういった人々の視点から見ると、歴史用語としてサラっと学ぶような出来事も、全く違った見方が出来るということである。
 全体として本書は、歴史の専門書でありながら文章が比較的平易で読みやすかった。全体的にアメリカの歴史に偏っているが、どこの国の歴史の話というのもそれほど気にならない個人の話を扱っているので、歴史好きの方で、歴史の中の個人とか、その時代の生活模様とか社会史的なことに興味がある方は手にとってみるといいだろう。



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2020年07月01日

【情報の大量生産大量消費】Yahooジオシティーズの閉鎖と歴史になりつつあるインターネット

消えゆくインターネットの歴史。かつての集合知の理念はどこへ?

 

 今から一年ほど前、2019年3月31日にYahooの運用するウェブサイト作成サービス「Yahooジオシティーズ」がサービスを終了した。当サービスは、一昔前のインターネットにおいて盛んに利用され、今では姿を消しつつあるFlashコンテンツや、豊富な研究や資料を集めた個人サイトも多くあり、そのサービスを終了にともなう多くの価値あるサイトの消失は多くの人々に惜しまれた。筆者もこのブログにて、面白いサイト紹介と称し、いろいろなサイトをこのブログに訪れた人に知ってもらいたいとの思いからサイト紹介を行っているが、それにしても、改めてブックマークに登録しておいたサイトや、記憶をたどって昔訪れたサイトを探してみると、既に消失してしまっているという事が多々ある。

 1990年代後半から一般層に普及したインターネットは多くの役割を期待された。その一つに集合知という要素があった。インターネット環境さえあれば誰でも膨大な情報にアクセスでき、資料の入手性という観点からも、人間の知識的格差を埋め、人類全体を向上させる… そんな役割さえインターネットという新たな世界には期待が寄せられたものであった。インターネットにアップロードした情報は半永久的に存在し、簡単に消すことはできないという事は、匿名掲示板や近年のSNSでの炎上において戒めのように語られることもある。しかし、実際はどうだろうか。多くの人々の興味を惹く情報のみが取り沙汰され、それのみが情報の価値の絶対的な指標となってしまい、その指標から外れた情報は隅へと追いやられ、いつしか消え去ってしまう。インターネット上の様々なサイト作成サービスも慈善事業ではない。資本主義なサービスの利益性というものに基づき価値判断がなされ、その価値が低くなりつつあると認識されれば、サービスそのものが終了してしまい、それに伴い膨大な情報が消失してしまう。ややネガティブに捉えた言い方になってしまうかもしれないが、日々失われゆく価値ある情報、あるいは価値が無くとも、多くの情報そのものを保全するべきであるという考えである筆者の立場からすると、このような現在のインターネットの構造というものには、悲観的な考えを持たざるを得ないのだ。
 インターネットに日々流入する情報は今日をもってしても日々を追う毎にますます増え続けているそうであるし、この先の技術発展によって情報の総量は指数関数的にますます増加していくだろう。しかし、洪水のように情報が流れ込むことは、古い情報がますます隅へと追いやられてしまうことにも繋がる。今日、そして未来のインターネットの在り方というものは、かつて期待された集合知という役割というよりは、情報の大量生産大量消費の場という形になりつつあるのではないか。これからますます、Yahooジオシティーズ閉鎖のような、サービス終了による情報の大量消失という事は起こり得るであろう。その際に失われ、あるいは永久に取り戻すことのできない情報というものは、大袈裟な言い方をすれば、インターネット全体、人類全体の損失ではないだろうか。
 インターネットの発明は1969年であるが、パソコン通信という形で一般人にも利用可能になった1980年代後半から考えると、インターネットとは少なく見積もっても既に30年ほどの歳月を歩んできたことになる。インターネットとは既にそれ独自の歴史を形作りつつあり、インターネットそのものの歴史研究という視点から見ても、あるいはかつて期待された集合知という点からしても、情報というものを何らかの基準をもって評価した価値のあるなしに関わらず保全する仕組みを作る事が重要なのではないだろうか。ある時は価値のない情報として切り捨てられていたものが、ある時には価値が認められるという事はままあることである。資本主義的に運営されるインターネットから、図書館のような存在のインターネットへ、願わくばインターネットの集合知という理念は、今再び掲げられて欲しいと思う。
 


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