コロナ

2020年07月04日

【コロナとインターネット】アフターコロナの世界とインターネット論 ~現実のデジタル化とバーチャル世界~

コロナウイルスの現在 インターネットとはどのような歩みを迎えるか?

 
 今年の春先に猛威をふるい、今まさに第二波が訪れようとしている世界中でのコロナウイルスの猛威。人と人とが直接的な対面を避けざるを得なくなった世の中で、今まさにあらゆる場面での電子化が否応なしに推し進められている状況下にある。世界は遅かれ早かれやがて電子化の一途を辿るであろうという予測こそ昔からなされていたが、まさかウイルスの猛威によって半ば強制的に行われるとは、筆者ももちろん予測など出来なかったし、世界中の人々にとってもおそらくそうであろう。本記事では、ひょっとすれば、人類がこの先しばらくの間付き合わざるをえないかもしれないコロナ、ひいてはまだ見ぬ未知のウイルス全体の脅威とインターネットとの関係とについて考察してみたい。

コロナが与えた衝撃と日常の電子化


 コロナウイルスの何が大問題なのかと言えば、言うまでもないことであるが、人と人との直接的な接触が制限されてしまったことにある。未だ社会や経済というものは人と人との接触によって成り立つものであるし、その根幹が絶たれてしまっては、川の水がせき止められて、水が流れなくなってしまったような状態に近い。自然現象として、コロナウイルスの感染とは、人間社会を破壊するだけの強烈な深刻さを持つのである。
 コロナウイルスの流行に伴って、日常、不必要であると考えられた接触は避けられるようになった。仕事もそうであるし、娯楽や街を歩くということにまで、それは及んだ。そして、代替策として重要視されたのが、インターネットという手段を用いた遠隔化、電子化である。例えば仕事の場であれば在宅のテレワークによって会社に行かないという形で仕事を行うという企業も多く現れたし、テレビ番組の収録にあたっても、スクリーンに出演者が映し出される遠隔的な番組の形式も、もはや日常の一部として私達は見慣れつつあるのではないだろうか。そしてインターネットという場においても、多くのサービスなどが、「お家で過ごそう」のスローガンのもと、少しでも在宅にて楽しめるようなコンテンツ提供を行った。いわゆる遠隔的、電子的な在宅化した日常が、コロナウイルスによってもたらされたのである。それは良くも悪くも、人々に新たな試みを挑戦させる事となった。あるいはこの経験から、日常生活のミニマリズム化、そもそもコロナ以前から不必要であると思われていた接触が、今一度見直され、インターネットという手段による代替が大規模に行われたのではないか。
 日常の電子化という現象は、前述の通りこれから先、技術発展とともにゆるやかに進んでいくのではないかと以前から予測されていた。しかしコロナによってそれが大幅に、無理矢理に促進されることになったのは、誰も予想し得なかったことであろう。

すでに可能であった日常の電子化の可能性


 あるいは、すでに技術的水準としては、ある程度の日常の電子化、インターネット化が可能であったということを筆者を含めた人々が気付かされたという体験でもあったと思う。重要なのは、以前から可能でありながら、保守的な観点から、そもそもの必要性、利益性の問題から、行われていなかっただけで、あくまで技術的には可能であった事である。この事は、今後人々がインターネットと付き合っていくに当たって重要な経験であったのではないか。以前筆者は別記事にてインターネットの発展段階とは、技術的水準によって規定され、それに伴うサービスによって利用者の意識は変化していくものであるとの持論を述べた。今回のコロナのような外的要因による強制的な意識の変化など想定していなかったということである。では、ウィズコロナと呼ばれる現在、アフターコロナと呼ばれる未来において、変化したインターネット利用者の考えはこれからのインターネットの在り方にどのような変化をあたえるのだろうか。次節ではその事を考察していきたい。

アフターコロナにおけるインターネット


 人類がコロナウイルスを克服するには、ワクチンの開発を待たねばならないだろう。その間のウィズコロナの時代において、人類が経験したインターネットとの付き合い方は今後のインターネットにどのような影響を与えるのか。
 インターネットによって代替可能であり、かつ利益性という側面から許容できる範囲のインターネット利用は、ますます促進するであろう。テレワークによって、もちろん全ての仕事が代替可能であるというわけではないだろうが、一部においては可能であったという経験は、企業の意識にも大きな変化を及ぼすだろう。
 その結果、一部の仕事はテレワークに代替され、その結果、今までになかった規模でインターネットの利用価値というものが変化する。変化すればそれに伴って関連技術への投資や発展も見込まれるであろう。インターネットという場の利用価値、価値観が大いに変化することになる。具体的に言えば、今後生活の中でインターネットというものが占める比率はますます上昇するだろう。その事が意味するのは、インターネットというものが、もう一つの現実の場として扱われ、可能な交流はそこで行われるという意識が、ますます高まるということである。その結果起こる事とは、いささか作者の空想を書くならば、インターネットが現実の延長からもう一つの現実としてのインターネットへのパラダイムシフトが始まろうとしているという事である。

もう一つの現実としてのインターネット、そしてヴァーチャル


 もう一つの現実としてのインターネット・・・なんだか突然壮大な言葉を書いてしまったようだが、これは実際可能性として十分に考えられることである。つまり、インターネットという場が、それそのものとして一つの現実という場を担保するという事であり、インターネットという場を介して現実が行われるのではなく、インターネットで完結する事が増えていくという事でもある。仕事というものも、現実に企業が土地にビルを建ててそこで仕事を行うのではなく、インターネットを中心とした企業活動を行う。そしてヴァーチャル・リアリティという技術が、インターネットの別世界化にさらなる拍車をかける。インターネットでのコミュニケーションのより完全な形として、ヴァーチャル世界の実現が技術的に求められる様になるのである。ヴァーチャルという場において企業活動やエンタメ活動を行う試みはすでに現在行われている。そして生活の中で、インターネットの比重が高まれば、必然的にそれらの活動もより注目され、単なる物珍しい流行り事ではなく、実際的なもう一つの現実の場として、ヴァーチャル世界が注目される・・・筆者としては、この先の世界のあり方のロードマップとして、あり得る可能性であると考えている。

終わりに


 またまた筆者の空想を書き連ねてしまった感が否めない記事になってしまった。ひいてはコロナにかこつけて自分の理想を書くという、否定的に捉えられかねないような内容になってしまったが、筆者としては、あくまで予測の一つ、可能性の一つとして、これらの事を提示したいというだけなので、どうかご容赦願いたい。


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voiceofdrone at 09:43|PermalinkComments(0)