歴史

2020年07月10日

【最果ての土地シリーズ③】巨大島グリーンランドの不思議な歴史と現在 ~なぜデンマーク領なのか?~

(グリーンランドの地図、Wikipediaより引用)
Greenland-CIA_WFB_Map

 最果ての土地シリーズ第三段でお送りするのは、巨大島、グリーンランド。面積は2166088キロ平方メートルと、日本の6倍でその85%が氷床に覆われている。地球上の真水の実に7%がグリーンランドに蓄えられている。
 世界最大の島であり、大陸の定義とはグリーンランドより大きいこと、島の定義とはオーストラリア大陸よりも小さいことである。
 さて、この凍てついた北方の地がなぜデンマーク領なのか? と、気になったことがある方も多いのではないだろうか。それを知るためには、この巨大な島の凍てつく大地に隠された長い歴史を紐解かねばならない。


定住と消滅を繰り返すグリーンランドの文化の歴史


●バイキング以前史



 グリーンランドは少なくとも紀元前2500年頃からイヌイットによる人類の定住が確かめられている。「サカク文化」と呼ばれる古代文化がグリーンランド南部において紀元前2500年頃から紀元前800年頃にかけて繁栄した。またグリーンランド北部においてもインデペンデンスフィヨルドと呼ばれるフィヨルドの周辺で発展した「インデペンデンスⅠ文化」と呼ばれる古代文化が紀元前2400年頃から紀元前1300年頃まで発展していたが、気候の寒冷化とともに消滅してしまった。また、「インデペンデンスⅡ文化」と呼ばれる古代文化がグリーンランド最北部においても紀元前800年から紀元前80年頃にかけて見られた。紀元前の時代からグリーンランド北部などという考えるだけでも凍てつくような土地に人が住んでいたというのは全く驚きである。
(インデペンデンスⅠ文化及びインデペンデンスⅡ文化の分布 Wikipediaより引用)
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その後、前期ドーセット文化、及びドーセットⅠ文化と呼ばれる古代文化が紀元前700年から紀元200年にかけて見られた。ドーセット文化はドーセット人と呼ばれる人々がグリーンランド南部において定住した文化であったが、それもやがて気候の寒冷化とともに消滅してしまった。
 この前期ドーセット文化以降はしばらくグリーンランドは無人であったとされる。


●10世紀後半、バイキングの定住

 982年頃、「赤毛のエイリーク」と呼ばれる人物がグリーンランドを探索した。「グリーンランド」の名前は「赤毛のエイリーク」が名付けたとされる。この名の由来は二つの説があって、一つはグリーンランドといういかにも緑が生い茂っている土地をイメージさせることによって入植を促進しようとした説、もう一つは中世の温暖期においては本当にグリーンランド南部には緑が生い茂っていたという説の二つがある。グリーンランドの探索後、エイリークは一度アイスランドに戻ったが、985年頃にグリーンランドに多数の植民者を連れて戻り、グリーンランドに入植した。最初の定住地はグリーンランドの南西岸、現在のQassiarsukと呼ばれる地名の付近に作られた。この定住地にはピーク時には合わせて三千人から五千人ほどの人口があったとされる。
 またこの時、イヌイットの先住民が同時期にグリーンランドにおいて後期ドーセット文化及びチューレ文化と呼ばれる文化を築いており、特にチューレ文化はグリーンランドの極地での生活に適応し、現在グリーンランドに住むイヌイットの祖先であると考えられている。バイキングとチューレ人はしばしば遭遇し、交渉または衝突した形跡が見られていいる。
 1261年に、グリーンランドの住民は故郷であるノルウェー王国に忠誠を誓う事になったが、1380年にはノルウェー王国そのもがデンマーク王国の支配下に入った。1397年のデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの三国によるカルマル同盟によってグリーンランドは同盟の領土となった。しかし、グリーンランドの開拓は気候の寒冷化などの理由から14世紀頃から衰退し始め、15世紀後半には一度消滅したものと思われている。

●デンマークによるグリーンランド植民


 15世紀後半に一度はヨーロッパ人による入植は消滅したものの、グリーンランドに対する領有権主張はデンマーク=ノルウェー二重王国によって続けられた。18世紀には再びデンマーク人がグリーンランドの植民に乗り出し、植民を行った。
 その後時代は下り、1814年のナポレオン戦争によってノルウェーはデンマークから分離独立し、この時デンマークがグリーンランドの権益を存続した。その後20世紀にグリーンランドの土地をめぐる領有権闘いがあり、1905年にスウェーデンから独立したノルウェーによるグリーンランドのデンマークに依る領有に異議申し立てをおこなったが、1933年にはデンマークの領有が認められる形で決着した。これが今日においてもグリーンランドがデンマーク領である経緯である。
 デンマークを含む北欧とスカンディナヴィアの歴史における中世からの統合と分裂によるグリーンランドにおける複雑な領有権の変遷があったこともあり、今日グリーンランドがデンマーク領であることは多かれ少なかれ偶然の産物であると言えるかも知れない。

●現在のグリーンランドにおけるデンマークからの独立志向


 現在グリーンランドはデンマークから大部分において自治を認められている。2009年には防衛と外交を除いた全ての支配権がグリーンランドに移譲され、グリーンランドは半独立状態にあると言える。さらに現在、グリーンランドでは、経済的な自立という壁があるとはいえ、地球温暖化に伴うグリーンランドの膨大な埋蔵資源の存在を背景に、デンマークからの完全なる独立を求める運動も起こっている。


グリーンランドの現在


 以外に思えるかも知れないが、グリーンランドは5万5千人もの人口がある。その大半はグリーンランドの首都、ヌークに2万人近くが集中している。少なくとも筆者はこれをグリーンランド人には失礼かもしれないが、極北のグリーンランドという地にしては、人口が多いと思った。グリーンランドに興味を持った方はぜひヌーク市のストリートビューを見てみて欲しい。大学や商業施設もあり、意外と(本当に失礼だが)都会である。
 また昨今のニュースとして記憶に新しいのは、アメリカのトランプ大統領がグリーンランドを購入する計画を興味深いと表明したことだろう。これには前述の通り、近年の地球温暖化によってデンマークの氷床が縮小し、その地下に眠っている膨大な埋蔵資源の存在が大きいと思われる。なお近年は中国企業による採掘も進められており、極北の地グリーンランドも、現在のアメリカと中国の勢力争いの一部になっているのだ。

こちらもどうぞ
「最果ての土地」シリーズタグ

参考サイトリスト
Wikipedia「グリーンランド」
Wikipedia「グリーンランドの歴史」
Wikipedia「History of Greenland」
Wikipedia「Independence Ⅰ culture」
Wikipedia「Independence Ⅱ culture」
株式会社クルーズライフ「インデペンデンスⅠ文化と先ドーセット文化」
デンマーク大使館「グリーンランドへようこそ」


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2020年07月07日

【歴史エッセイ】「ここではないどこか」にあるユートピアを目指して ~理想郷の人類史~

私がアメリカに来たのは、この国では道に黄金が敷き詰められていると聞いたからでした。
しかしここに着いて三つのことを知りました。
まず第一に、道には黄金など敷かれてはいないということ、
次に、そもそも道はまったく舗装されてさえいないこと、
そして最後に気付いたのは、この道を舗装する役目は私に課せられているのだということでした。
―映像の世紀第三集「それはマンハッタンから始まった」より―

 上記の言葉は20世紀初頭におけるアメリカ移民による、アメリカへの憧れと、その現実とのギャップについての皮肉である。19世紀から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパを始めとする旧大陸から、新大陸の新興国家アメリカ合衆国へ移民する人々が多くいた。彼らは貧困を逃れるため、あるいは戦火を逃れるため、あるいは差別を逃れるためにアメリカに渡った。しかし、実際には、ヨーロッパ移民の中でも特に「新移民」と呼ばれる20世紀初頭にアメリカにやってきた人々は、必ずしもアメリカの土地に定住することなく、もともとが単なる出稼ぎ目的であったり、あるいはアメリカの現実に失望して、かなりの割合がヨーロッパの故郷へと帰っている。
 19世紀から20世紀の動乱の時代、旧大陸であるヨーロッパの人々には、アメリカという新天地は様々な幻想をもって見られていた。「世界一豊かな国アメリカ」、「一攫千金の地」、「アメリカン・ドリーム」、そんな標語に寄せられて、多くの人々がアメリカへと移民した。しかしその実態は、ヨーロッパとさほど変わらないか、あるいはもっと酷い移民街の貧困と低賃金労働などといった現実であった。

 古代ギリシアにおいては、アトランティスと呼ばれる理想郷があったが、一夜にして海に沈んだという伝説があった。あるいは楽園伝説として、「アルカディア」という牧歌的な楽園があると信じられていた。あるいは旧約聖書の創世記においては、かつてアダムとイヴが住んだエデンの園という理想郷が説かれた。
 あるいはかつてヨーロッパ人は東の果てのどこかに、「プレスター・ジョン」と呼ばれる国王が収める理想的なキリスト教国があるという伝説を信じた。あるいは、マルコ・ポーロは東の果てに黄金の国ジパングがあるといった東方世界の驚異をまとめた『東方見聞録』に、自らの体験を綴り、その本はインチキなでたらめであるという意見もありながら、確かにヨーロッパ人に東方世界への憧れを抱かせた。大航海時代には、新大陸アメリカの発見とともに、新大陸には黄金の散りばめられた都市、いわゆる黄金郷(エル・ドラード)があるとの伝説が広まった。
 16世紀のトマス・モアは、架空の島の理想郷の物語『ユートピア』を書いた。「ユートピア」とは、「どこでもない場所」という意味である。
 東アジアにおいても、西方の遥か果てには天竺と呼ばれる理想郷があるとか、または中国には「蓬莱」と呼ばれる東の果てにある仙人が済む理想郷があるという「蓬莱伝説」があったし、桃源郷というユートピア的な隠れ里があるという伝説もあった。古代日本においても「常世の国」という海の彼方のどこかにある永久不変の不老不死国があると信じられていた。
 いずれにせよ、歴史上人々は、「ここではないどこか」に理想郷があることを信じ、それを追い求め続けたのである。それは、自らが済む国の貧困であるとか戦争であるとか、そういった現実を離れて、世界のどこかには、きっと理想的な、平和で豊かな理想郷があると、そう信じたのである。
 前述の通り、近代においても、ヨーロッパの人々は大西洋の向こうの新世界アメリカ合衆国へと理想を抱いた。今日においても、現代日本において様々な要因から日本に対して「住みにくさ」を感じる人々が、海外、または欧米、もしくは北欧といった具体的な地名が挙がることもあるが、世界の「どこか」に、時分にとって理想的な国があると信じて脱日本と海外への移住を試みるということも今日ネット上でよく取り沙汰される。あるいは、欧米人から見て、日本や東アジアの国々が理想郷として映ることもある。60年代アメリカのヒッピームーブメントでは、東アジアの「禅」の思想が理想的なものであるとして取り上げられることもあった。いわば、古代から現代まで、人々は「ここではないどこか」のユートピアを信じ続けているのだ。
 あるいはそれは人間の本能なのかも知れない。アフリカ大陸で産まれたホモ・サピエンスは、アフリカを出て世界中に歩を勧めた。氷河期のベーリング地峡を越えて、南アメリカの最南端に人類は到達した。あるいは大洋を越え太平洋の島々までにも渡った。かれらはみな「ここではないどこか」を求めて、歩みを続ける先にはきっと理想的な楽園があると信じて、移動し続けたのかも知れない。


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