うつ病

2020年07月08日

うつ病思考を改善するためには、文章を書き、記録を付けまくれ! ~モヤモヤ感を文に起こすという事~

実践するうつ病改善法。思考を文字に起こす。


 前の記事、【うつ病体験】うつ病患者自身が考える「うつ病意識」の特徴 ~強迫的完璧主義と自己嫌悪の連鎖~にて、うつ病の特徴的思考である、「強迫的完璧主義」と「自己嫌悪の連鎖」という二つの物を紹介した。前回の記事を書いた時には、残念ながら筆者にはこの思考から抜け出す方法は思いつかなかった。

 しかし、ブログとTwitterを初めてから、少し自分のうつ病が良くなっているという事に気づいたのだ。これは何故だろうか?結論から言えば、日々考えているモヤモヤとした思考を思考のままにせずに、文に起こす試みを行ってきたからだと筆者は考える。なぜ思考を文に起こす事が重要なのか? 今回の記事ではそれを説明していきたい。


モヤモヤ感を文に起こすと、「答え」が見つかる


 うつ病患者がうつ状態に陥る原因として、筆者の場合は、ストレスなどの様々な要因から、まず心に「モヤモヤ感」を感じる。その「モヤモヤ感」を放っておくと、やがてそこから負の思考が生まれる。一度負の思考を抱くと、そこからどんどん連鎖して、いわば「自己嫌悪の連鎖」に陥り、頭が不快な思考で満たされると、行動力が鈍り、抑うつ状態へと繋がる。

 筆者の経験上、うつ病には波があり、一度波の底である抑うつ状態に陥ると残念ながらそこから回復するためには、何かよっぽどのきっかけがあるか、気分の波が上向くのをひたすら待つしかない。要するに、一度抑うつ状態に陥ってしまうと手立てがないのだ。だからこそ、抑うつ状態の初期症状である「モヤモヤ感」のうちに、この「モヤモヤ感」に決着をつけるのだ。具体的には、その「モヤモヤ感」を文に起こすのである。とりとめのない、言葉にできないようなモヤモヤ感を、あえて言葉にして、真っ向から立ち向かうのだ。
 実際に、筆者が「モヤモヤ感」を文に起こすとこのような形になる。
今日も一日何も出来なかった」という「モヤモヤ感」、これをこのまま放っておくと、「なぜ何も出来ないのか」という思考にいたり、そして「自分はだめな人間だ」となっていく。しかし、「今日も一日何も出来なかった」と考え始めた段階で、それを文章にするのだ。

 ただ、ここで疑問が生じるのではないだろうか。「今日も一日何も出来なかった」という事を文に起こしたとして、結局それは「自分が駄目な人間だから・・・」という方向に向かっていくのではないか? という事である。またしても結論から言うと、確かにそうなる事もあるが、重要な事は、「頭の中で思考する」のと、「文に起こしながら」思考するのとでは、思考の流れ方が違うのだ。

 私達うつ病患者は、ある種頭の中で思考を重ねるということに慣れている。慣れているがゆえに、普段通りに思考すると、それは容易に負の方向へと流れていくという癖が生まれているのだ。しかし、私達が紙やパソコンに文字を起こしながら思考を進めると、頭の中で思考するようにスラスラとは行かない。文章を書くという行為をする以上、文章を書くという思考を行いながら脳を働かせることになる。
 この縛りのような思考の枷が、うつ病患者の負の方向へ流れる思考の癖を抑制してくれるのだ。さらに言えば、文章を書くという行為を行うと、私達は無意識的に、文章を日本語として分かりやすく、論理的に筋道立ったように仕上げようとする。この思考の変化が重要なのだ。頭の中で思考すると、それは容易に負の方向へと流れていく。しかし文を書きながら、論理的に考えてみれば、そこには一定の思考の形を残すことが出来るし、すると結論も違ったものになる。

 先程の「今日も一日何も出来なかった」という思考を論理的に考えてみれば、「全く理由なくただ何も出来なかったのか?」という疑問を感じざるを得ないのだ。例えばそれは「前日に睡眠不足だった、そういえば最近生活リズムが崩れている」とか「散歩をすれば頭が冴えるんだけどそれができないからかな」といったような具体的理由が浮かんでくるのだ。

 もちろん、うつ病患者にとって実際にこれらの答えを参考にしたところで、睡眠を十分に取ろうと思ってもどうしても眠れないということもあるし、散歩に行きたくても外に出られないという事もあるだろう。しかし答えを参考に行動するのはもう少し先の話で良いのだ。重要なのは「答え」が見つかるという事そのものである。人間は「答え」が見つかれば、一定の満足感と納得感、肯定感を得る。これらの感情を文章という形あるものによって得る事こそがまず重要なのだ。
 「モヤモヤ感」を感じたうちに、すぐに文章を書き、論理的思考を行ってみる。ぜひ試してみてほしい。

毎日の生活と自分の思考を記録につける

 この記事の冒頭に挙げた「強迫的な完璧主義」、この思考については冒頭に貼った該当記事を参照してもらえれば分かりやすいのだが、読者の皆様も記事をまたぐのも面倒であろうから、ここで手短に書いてみる。
 うつ病患者は完璧主義的であることが多い。完璧主義的だからうつ病になるのか、うつ病になったから完璧主義的な思考になるのかという順序は若干の議論の余地があるだろうが、筆者の考えを述べさせていただくならば、もともと完璧主義的な人間は確かにうつ病になりやすく、さらにうつ病になることによって完璧主義がより「強迫的」になるのだ。こうして「強迫的完璧主義」とも言えるような思考に囚われることとなってしまう。

 だが、そもそもなぜ完璧主義になるのだろうか? 「理想が高い」とか「かくあるべき」という考えが強いからとも言えるだろう。そのため常に100%の力を発揮して、加減というものを知らずフルパワーで動き続けてしまうから、パンクしてしまうのだ。確かに理想が高い事は良いことであるし、常に100%を目指すということは理想的なことではある。しかしながら、私達生き物は、常に100%の能力のフルパワーを発揮して生きるようには出来ていないし、パーフェクトでなければならないのは、本当に人生のここぞという時だけで良いはずである。あとは手を抜いたっても良いのだ。

 もちろん「そんな事頭では分かってるけど・・・」という声はあるだろう。だからこそここでも重要になってくるのは、現在の仕事のタスクを文章に起こし、それを分析してみるということである。仕事を一覧にしてよく考えてみれば、「これは手を抜いても良いけれど、これはきちんと仕上げないとダメだな」といった考えが自ずと浮かんでくる。普段は完璧主義的な思考が、癖になって染み付いているから、考えずに仕事を行うと全てに100%の力を使ってしまう。
 ここで、自分自身を客観視することで、抱えているタスクの内容を文章に起こせば、「仕事1は60%の出来でも良いだろう、仕事2は80%は出さなければダメだな」と、具体的な計画も頭に浮かんでくるのだ。あとはその文章に起こした力配分の通りに仕事をすれば良い。初めのうちはやはり慣れないかもしれないが、一定の継続によって、徐々に力の配分が分かってくる。
 そもそもうつ病患者が完璧主義的であるというのは、長年に渡ってその通りに生活してきた凝り固まったルーチン化した思考の癖によるものである。その癖を、ここでも文章を使って、ほぐしていくのだ。

 さらに言えば、これは筆者の考えではなく、精神科医に紹介された立派な精神医学の療法であるのだが、毎日の調子を日記にして自分自身を観察してみるという方法がある。これも、気分という曖昧なものを文章にすることによって、気分の波を可視化し、「自分がどんな事があったら嬉しかったか」「どんな事があったら嫌だったか」と言うこともリストにしてみて、嫌なことは極力遠ざけるのである。どんな事がきっかけで自分は嬉しくなるのか、または嫌な気持ちになるのか?という事を、言葉にしてまとめることによって、自分を客観視出来て、嬉しくなることに向かい、嫌なことは遠ざけるということが可能となる。

 客観視という事は重要である。なぜならば、一度抑うつ状態に陥ってしまうと、ひたすら主観的な鬱感情の中に溺れてしまい、客観的に自己を見るということが全く出来なくなってしまうからである。筆者にしても、気分が落ち込んでいる時に自分を客観視することは難しい。だがここでも、文章として今まで残してきたものがあると、調子が良かった時の自分が自己を客観視していたという材料が見つかり、客観的な自己に対する記録を見返すことで、鬱の底から抜け出す一歩になるのではないか…と筆者は考えている。

終わりに

 さていかがであっただろうか。うつ病の重大な問題として「何をしてもうつ状態になれば、結果的に元の木阿弥」になってしまうという事がある。しかし、繰り返すようだが、文章に書いたものは消えない。文章を書くことによって、記録を残し、今までの自分を振り返ることが出来れば、また調子が悪くなってしまったとしても、それまでに積み上げた確かな形ある客観的な自己分析が残るのである。これは自分を知る上で重要な材料である。

 孫子の兵法に「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という有名な言葉がある。「彼」とは敵のことであり、私達にとっての敵はうつ病である。この続きを挙げると、「彼を知らず己を知れば、一勝一負す。」となる。敵を知らずとも、自己について知っていれば一勝一負。つまり五分五分になるのだ。さらに続きを挙げると、「彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし」つまり敵も自分も知らなければ、戦うごとに危ういのだ。これまでの筆者がそうであったように、うつ病という敵を知らず、更に己をも知らなければ、気分が落ち込みそうになる度に危うかった訳である。
 うつ病という未だ現代医学においても未解明な部分がある病気を既存のことだけでも知っておくことはもちろん重要だが、それ以上に己を知れば、少なくとも五分五分にはなるのだ。もしあなたがうつ状態に引っ張られ気分がどん底に落ち込んでしまう…という事があっても、己さえ知っていれば、そこをなんとか踏ん張れるか、落ち込んでしまうか五分五分にすることが出来るわけである。

 この手法は、筆者が思いついたものだが、おそらく精神医学においては「認知行動療法」とかと言った名前で、既に発明されていることであろうし、付け加えるならば、万人のうつ病に対して効果的とは、残念ながら断言できない。しかし、少なくとも筆者はそれでいくらか改善した。うつ病に悩む方がこの記事を読んでくれて、この手法を使って少しでも症状が改善したとすれば、筆者にとってそれ以上に嬉しいことは無い。


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2020年07月06日

【うつ病体験】うつ病患者自身が考える「うつ病意識」の特徴 ~強迫的完璧主義と自己嫌悪の連鎖~

うつ病の人間は一体どんな思考をしているか

 うつ病の人間には、いくつか特徴的な思考の類型がある。完璧主義や自分を責め続ける自己嫌悪、他人と自分との比較等が挙げられる。
 今回の記事は、筆者が感じるうつ病意識の特徴として、「強迫的完璧主義」、「自己嫌悪の連鎖」の二つを挙げ、筆者自身の視点からこれらの意識を分析し、筆者自身をして、自身を客観的に見ることの試みとしてみたい。

強迫的完璧主義~自意識と理想の乖離~

 まず一つ目として、うつ病の特徴の一つである「強迫的とも言える完璧主義」について考える。これは、うつ病にかかる人間が完璧主義的になるのか、あるいは完璧主義だからこそうつ病にかかるのか、鶏と卵のような話なのだが、筆者として個人的に考えられるのは、もともと完璧主義的な性質をもった人間が、うつ病の作用によってより「強迫的」な完璧主義になってしまうという事である。
 ここでそもそも「完璧主義」という事はどういう事であるか分析してみる。「完璧主義」であるということは「理想が高い」という事である。「かくあるべき」「あらねばならない」という意識が強いとも言える。常に100%に近くなければならない、言い換えれば普段は手を抜いて、ここぞという必要なときだけに100%を求める、そんな力加減ができないとも言える。普段の課題、仕事から自身の100%を常に目指すということは理想的であるように思えるが、人間はそこまで理想的であることは出来ない。本来生物とは常に100%を保って生きるものではない。100%に近い力を発揮しなければならないのはまさに、ここぞという場面だけで良いはずなのだ。だからこそ、本来的に常に100%に自分を保つということはそもそも不可能であるのだが、自分自身を保つという事が、100%のパーフェクトを基準にしているため、これはいわば常にエンジンをフル稼働しているようなものである。その結果、仕事などでもまだこなせる量の範囲の課題であれば良いのだが、一定量を超えると自分の処理能力を超えてパンクしてしまうのである。
 そして、前述した通り、筆者が個人的にうつ病の作用であると考えているのは、完璧主義がより「強迫的」になるということである。例えれば、課題が100%あるとして、その中のわずか1%、本来ならば無視をしても良いような細々とした部分を無視することが出来ない。出来ないことをもしようとし、少しでも他人に頼るということが迷惑であると考え、強迫的に何でも自分でやろうとする。そして、強迫観念にかられて、自分自身に対して常に粗探しをしてしまうのである。達成しているはずの課題を達成していないと考えたり、わずかでも評価が下がることを恐れて、粗探しをやめることが出来ない。
 また自分の調子が悪くなった時に、回復可能であるはずなのに、100%である自分が当たり前であると思っているから、パフォーマンスが落ちることを恐れるあまり、根本的に自分はもう駄目だとまで思ってしまうのである。


自己嫌悪のこだま ~嫌悪している自分を嫌悪する~

 続いて挙げるうつ病意識の特徴として、「過度な自己嫌悪を行う」という事が挙げられる。この自己嫌悪は、ある程度は前述の完璧主義に根ざしたものでもある。つまり自身の持ちあわせる完璧主義は、ナルシズム的な自己意識が関係すると考えてしまうのである。つまり完璧主義的な自己の、「理想が高い」という性質を「高い理想が可能であると思っているという事は、自分の能力を過信している」というように受け取ってしまうのである。その結果、「過信している」自分を嫌悪する。しかし、自己嫌悪というものはいわば、自己によって自己を嫌悪するという行為である。つまり自分を一段高い場所から嫌悪している自分がいるということであり、この自分をも発見して嫌悪するのである。また、自己嫌悪という行為自体が、嫌悪をする余裕がある自己の存在というナルシズム的な自意識の産物であると自己嫌悪し、自己嫌悪をするということに、さらに嫌悪するのである。まさに自己嫌悪の連鎖である。こうした結果、無限に自己評価は低くなってく。そして行き着く先は、自己そのものの根本的な否定、すなわち希死念慮である。しかし死すら考える段階に至っても、自己嫌悪の連鎖からは逃れられない。何故ならば、現在の自分は死を選んでいないからである。希死念慮を抱きながら、死を恐れ、死を選んでいないという自分をまた嫌悪するのである。とすると、ある種論理的な思考を進めれば、もはや実際に死ぬしかないという段階にまで至ってしまうのである。なんとも、恐ろしいことである。

終わりに

 以上二つのうつ病意識について考察してみた。残念ながら、これらの思考を捨てるためにはどうすればよいかという答えは、筆者自身まだ導き出せていない。その答えがわかれば、うつ病が治るにあたっての大きな前進なのだが、現時点の筆者の出来ることはここまでである。しかし、自分と自分の思考を見つめ直し、客観的な視点から分析するということは、いくらかは意味のある行為であると、筆者は思う。

(2020/07/08追記)筆者なりに、うつ病を改善する方法が見つかった。うつ病思考を改善するためには、文章を書き、記録を付けまくれ! ~モヤモヤ感を文に起こすという事~にて紹介しているので、是非参考にしてみてほしい。


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2020年07月01日

【うつ病体験】うつ病患者が考える「うつ病思考」 ~あらゆる前提がひっくり返る「うつ病思考」の泥沼の実際~


うつ病は何が辛い? 筆者が体験した揺れ動く気分の波と「うつ病」思考の泥沼


  筆者はうつ病である。少なくともそう医師に診断されたし、それ以前からもずっと自覚症状はあった。さてこのうつ病という病気の何が辛く、なぜゆえ抜け出せないのかということを筆者なりに、うつ病でない方にも分かりやすくまとめて書いてみたいと思う。

 うつ病に限らず他の殆どの精神病には陽性症状と陰性症状の精神的な「波」がある。この「波」が厄介なのだ。もちろん筆者よりもより重症であるうつ病の方には、四六時中抑うつ状態に悩まされている方もいらっしゃるだろうから一概には言えないのだが、少なくとも筆者の場合には「波」がある。波が上向けばそれなりに活動することが出来る。これも精神医学の治療の賜物であるかも知れないが、調子の良い状態の時には「アレっ、自分もううつ病じゃないんじゃ!」なんて思うこともある。しかし、実際は波は流れて、必ずまた調子の悪いどん底の日々がやって来る。この落差が自分にとっては辛い。上げて落とされるというのが人間一番辛いものである。そして、真に辛いのは、調子の良い時の自分と抑うつ状態の自分との思考ルーチンの差があまりにもかけ離れてしまうことである。筆者もうつ病とは長い付き合いであり、とはいえまだまだうつ病のことを理解できないのだが、自分なりの経験則として、調子の良い時にはなんとか準備をしておく。抑うつ状態の時にも、なんとかしてキッカケを作って気分を上向きにさせることができれば、それなりに気分がマシになる事もあるからである。

 しかし… 実際にはこれはうまく行かないことの方が多い。なぜならば、抑うつ状態になると、自分の思考の前提がそっくり入れ替わってしまうからである。思考の前提、つまり、調子の良い時のなんとかなる、それほど人生悪いもんじゃない、自分にも出来ることはある、そんなポジティブに積み上げてきた思考が、抑うつ状態に突入すると全て瓦解する。一転して、自分には何も出来ない、なんともならない、結局こうなるのだから人生上手く行くはずがない、そして死すら時には考えてしまうのである。気分を上向ける努力も、する気にすらなれない。これほどそっくりと、思考の前提がひっくり返って悪化してしまうということは我ながら不思議なことである。

 ここで読んでいる方には疑問も浮かぶのではないだろうか。大局的には波があることが分かっているのなら、ただひたすら待って、耐え忍ぶのも手ではないか、という事である。確かにそうではあるのだが、実際には、抑うつ状態の時には一寸先は闇、どころか既に闇に包まれて奈落に転落したかのように錯覚してしまうのである。何もせず、耐え忍ぶという事がまず出来ない。焦りと不安と、無気力感から、何もしないどころか、調子の良い時に自分が積み上げてきたものを自分でぶち壊してしまう。
 筆者自身、その自らの破壊行為に何度悩まされてきたか分からない。例えば、長期の抑うつ状態から抜け出せないと、人間関係などは全て断ち切ってしまうし、進みかけていた仕事も放棄してしまう。作っておいたものも破棄してしまう。結局調子の良い時期に組み上げたものは元の木阿弥となり、その事自身がいつまで経っても何も成すことが出来ないといううつ状態の原因にもなってしまう。まるで自分が築き上げた迷路をずっとぐるぐると回っているようである。
 
 うつ病の克服には、自己肯定感が必要であると、医師からもよく言われる。しかしそもそも、この自己肯定感というものを気づきあげる事が難しい。うつ病の患者にとって、自分を少しでも肯定することは、それ即ち悪とすら思えてしまうからである。驕ってはいけない、謙虚でなくてはならない、という気持ちも、行き過ぎれば、何一つ自己肯定をすることが出来ないという事に繋がる。そしてうつ病の患者というのは、概してこの気持ちが行き過ぎる事が多いのだ。これは何故だろうかと考えた時に、筆者なりに思うのは、これもまた「波」があるゆえではないかという事である。
 調子の良い時には、しばしば開放感から、調子の良さが行き過ぎることがあるのである。いわば躁状態である。もっとも単なるうつ病と躁うつ病(双極性障害)というのは全く別の病気で、うつ病に躁状態というものは厳密にはないのだが、ただ実際は気分の波のゆえに、上向きの際には少々張り切りすぎて、上向きすぎてしまうことがあるのではないかと思う。この時に、自己肯定感を得ようとするあまりに、若干のナルシズムというか、なんでもない事までをも肯定してしまうのだ。この事自体、人に迷惑をかけない範囲であれば、傍から見れば別に問題ないだろうと思われるかも知れないが、実際これが、抑うつ状態に転化すると、その行き過ぎた自分をひどく恥じてしまうのである。そして結果的に、自分の行為の悪い点を粗探しし、自分は悪かった、悪くなければならないとすら考えてしまうのである。そしてこの自己嫌悪という行為そのものが、自己嫌悪する余地があるという自己という存在そのものにナルシズムを感じ、ますます自己嫌悪を重ねてしまうのである。

 気分の波の病気、うつ病。気分に波があるがゆえに、危険なこともある。多くの場合、うつ病や双極性障害によって自殺をしてしまう人間というのは、抑うつ状態のどん底にいるときではなく、調子の良い状態から抑うつ状態に向かう際、あるいは抑うつ状態から回復しつつある時期であるというのである。これは、抑うつ状態のどん底にいる時には、死のうとなどという気力すらないからである。しかし一旦調子の良い状態から自分が抑うつ状態に向かっている時、あるいは抑うつ状態から回復しつつあるとき、そんなときになまじっか気力がある時に、死んでしまおうとなるわけである。実際に筆者も、抑うつ状態のどん底のときにはひたすら死を考えるのみだが、実行の危険があると思われる時はこの時期に相当する。幸いなことに、これまで自分は自殺未遂などということは行っていない。だがこれも運の良さゆえであると思われる。少しでも気力がおかしな方向に向かえば、実行する危険性も無いではなかったと思い返せばそう思う。自殺、これは恐ろしいことである。そうひたすら自分に言い聞かせてなお、抑うつ状態の時には思考の中に死がちらつき、恐ろしいのだ。

 以上、うつ病というものについて、少なくとも筆者が感じているうつ病という病気の状態について大雑把に書いてみた。書いてみて思うことだが、この記事は、誰か他人のために書いたと言うよりは、筆者自身の心理状態を把握するために自らの心持ちを分析してみたというきらいが強いが、もしこの記事をここまで読んでくれた方がいるのならば、まず感謝を申し上げたい。そしてもしあなたがうつ病の患者であるならば、共にこの病気と戦おう。そしてあなたが健康な人なのであるならば、どうかこんな酷い理不尽な病にはかからないように、何か自分に気分のなかなか晴れない、少しでもおかしな状態があると思ったらすぐに療養に努めてほしい。うつ病はこころの風邪であるとも例えられる。こじらせなければ、治るのだ。筆者の場合はわからないが、いつかは治ってくれると、いまの心理状態では、そう願い、信じている。 


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【エッセイ】私の半生 ~なぜ私はうつ病になったか~

 今回のエッセイは筆者自身の事について述べてみたい。誰も何ら興味などない話題であろうし、筆者自身あまり読まれたくはない内容なのだが、それでも自分の半生を文に起こして、それを客観的に見てみたいという試みから、この記事を書いた。なおプライバシー保護のためなるべく具体的な記述は省きつつ、筆者がなぜ故に一度人生に絶望し、うつ病になったかという事を振り返ってみる。

 それは中学入学の時だった。筆者にとって小学校の六年間は未だに振りかえっても、黄金時代とも言えるようなもので、特に最後の六年生の時分には非常に良い先生と仲間に恵まれたこともあり、まさに順風満帆できらびやかなものであった。小学校卒業の日、クラスは皆中学校の制服を身につけ、卒業を祝い、賑わいながらも、やはりどこか寂しさを隠しきれないという雰囲気に包まれていた。恩師とも言える先生は涙ぐみながらこう仰った。
「皆、今日からは別の道を行くことになるけれど、決して振り返るな!突き進んでいけ!」
 私も涙をこらえる事に必死になりながら、その言葉を胸に抱いて、来る中学校の新生活を待ち受けていた。しかし、そんな恩師との別れの約束は、卒業から春休みを挟んで数ヶ月足らずで筆者は破ってしまった。小学校の頃に出来ることなら帰りたいと思ったのだ。
 中学校に入学して待ち受けていたものは、不良たちの無法地帯、荒れに荒れた様相と、それに神経を尖らせた強権的な先生の面構えであった。和気あいあいとした小学校生活から全く一転したものであった。まるで軍隊に入ったかのような趣きで、強権的な先生の代表はこう言った。
「これから始まるのは訓練です。決して甘くはありません」
 何か悪いことをした覚えもないのに、入学数日にして、威圧的な先生の演説とともに、中学生活は始まった。
 とはいえ、筆者はそれに対して反骨精神を少しも抱かなかった訳ではないけれど、概ねそれに従うことにした。何故ならば、強権的な先生たちよりも、好き勝手に暴れ、授業を妨害し、校内で煙草を吸うような不良たちのほうがより嫌いだったからだ。絶対にああはなってはならないと思った。今思えば全く理不尽な二項対立の構造だった。強権的な学校体制に従うか、横暴な不良になるか。実際その中間項というものは実際あの中学にはなかったように思える。
 筆者は高圧的な先生たちに従い、「良い子」をやることを決意した。それは、もともとそう不真面目でなかった筆者にとってはそう難しいものではなかった。けれども、そのストレスと、従順な「良い子」をやる事は、次第に筆者の身体に染みていった。ストレスの例を挙げるならば、筆者は中学校の大部分の間、トイレで「立ち小便」をすることが全く出来なかった。今思えば、それはストレスによる症状であった。さらに、従順な「良い子」をやっているうちに、次第にそれは筆者の精神を侵食していった。あからさまに従順で、苦労をかけない「良い子」をやる、それこそが、当時の筆者なりに先生たち大人を理解しようとした結果であった。不良共に手間がかかって、先生たちも、きっと神経をすり減らしているのだ。せめて自分くらいは大人しい生徒になろうと、そう思った。
 相変わらず不良達は暴れ続けていた。最も荒れていたのは、筆者が中学校に入学した時の三年生であり、二年生もそれに影響されて荒れ気味であった。筆者の学年は、不思議なことに真面目な人間が多かったらしい。全く上級生の不良に悪い影響を受けた人間がいなかった訳ではないが、概ね穏やかな学年だった。ここまでを振り返ってみると、単に荒れていて、強権的な中学校。ただそれだけだったのならば、筆者はそこまでその後の人生に苦労をすることはなかったかも知れない。
 もう一つの問題は、部活動の人間関係であった。筆者は小学校時代、一学年上の先輩と仲が良かった。筆者が小学校の頃に仲が良かった先輩たちは、必然的に一年先に中学校へ行き、筆者が中学校に行く頃には、仲が良かった先輩たちの大部分が三年生の不良に影響されている姿があった。それは筆者にとっては甚だショックだった。さらに中学校には明確な階級があった。小学校の時分は、上下関係など意識しなくても良かったものだが、中学校に入れば、先生もまた、上の学年のことは先輩と呼び、敬語を使うようにと言った。その事が、余計に先輩たちと関わることを筆者に躊躇わせた。
 何故しばらく前までは一緒になって遊んでいた仲であった友人に、中学校に入った途端敬語を使わなければならないのか? 今思えば、友人関係があるのならば、上下関係などは建前で、普通に接すればよかったのだが、当時をしてどこか頑固であった筆者にとってはまたしても二項対立に陥ってしまった。仲が良かった友人の先輩に敬語を使って接するのか、それとも疎遠になるかだった。筆者は疎遠になることを選んだ。
 さらに言えば、部活動の同級生との人間関係も、筆者にとって重大な問題となった。なぜかと言えば、いつだったかある時に友人同士が酷く喧嘩をしていたのである。お互いに口汚く罵り合って、中立の立場である筆者に、代わる代わるあいつは最低だ最悪だと愚痴をこぼしてきたものだった。それは筆者にとって酷くストレスであった。筆者はその友人二人共とかなり仲が良かったのも災いした。板挟みになった筆者は、やはりここでも互いと縁を切って、疎遠になることを選んだ。
 こうした数々の友人関係の不和によって、筆者は人間関係そのものに不信を抱くようになっていた。そうして、筆者は周りを遠ざけ、友人を作らないように無口で空気のように振る舞うことにした。ただそれも、ストレスだった。しかし、そうせざるを得なかったし、実際それを後悔した時にはもう遅すぎた。筆者はすっかり、周りとコミュニケーションを取ることができなくなっていたのである。

 そんな中学生活にも一つだけ希望はあった。高校への進学である。聞くところによれば、筆者の住んでいた市内でも比較的上位に位置するその高校は、それは平和で、穏やかで自由な校風だったと言われた。筆者はそこに入学すれば、この抑圧とストレスに満ちた生活から抜け出せると思ったのだ。そうして、「高校に入れば、この人生は変わる」と信じて疑わないようになった。そのために勉強をした。筆者が三年生になった時分においては、比較的校風も穏やかにはなっていたのだが、それでももう、中学校に何かを見出すには遅すぎた。
 結論から言えば、筆者は希望していたその高校に合格することが出来た。合格の発表を聞いた時は、とてつもない幸福感と、開放感を感じた。やっとこれで自由になれる。苦難の中学校生活を乗り越えた先には、きらめく高校生活が待っているのだと、希望は確信に変わりつつあった。
 しかし、またしても結論から言えば、乗り越えた先には何もなかった。確かに自由で平和な高校だった。高校は何も悪くない。しかし、すっかりコミュニケーション能力を喪失し、受動的な「良い子」であり続けた筆者にとっては、その自由は手に余るものだった。自由を謳歌し楽しむためには、積極的でなければならないのに、筆者は人間関係を築く事もできず、ただ呆然と、過ぎていく高校生活を眺めることしか出来なかった。そうして、筆者はますますストレスを感じるようになっていった。
 思えば中学校の時は、学校全体が抑圧的であったから、自分が受け身であり自分を抑圧するする言い訳にもなった。ただ、自由な活気のあふれる高校生活において、その只中でただ一人呆然と立ち尽くしていることは、あまりにも辛かった。日々が過ぎていく内に、筆者はストレスを感じ続け、いよいよ人生に絶望した。登下校の時に見る高い鉄塔を見るたびに、あそこに登って飛び降りて死んでしまいたいと考えたものだった。いつしか自傷行為のような事を行うようにもなり、授業を抜け出して、何時間もトイレに引きこもった。そして、三年生の後半にもなる頃には、筆者は不登校になっていた。幸いなことに、不登校になったのは本当に三年生の終盤であったから、出席日数はなんとか足りて、卒業することは出来た。しかし、もはやその時筆者に大学進学を考える余裕など無かった。
 そうして以降、一年の浪人生活を経て、大学になんとか進学する事はできたが、うつ病に振り回される日々だった。大学の一年の時に、筆者は心療内科へ行く事を決意し、そしてうつ病と診断された。自分がうつ病であると言うことは、高校時代からうすうすと分かっていたから、そう驚くことでもなかった。ただ、うつ病と言われても、そうですかと、他人事のような感想しか抱かなかった。
 そして大学生活を経て、何も残らない日々が今日まで続いている。いささか駆け足のように終わってしまうが、うつ病によって本当に何もない空っぽな日々が続いたので、書き様がないのだ。
 こうして今筆者は生きている。かつて何度も死を考えたけれども、生きている。そして人生は続く。これからも続いていく。いつかうつ病から開放される事があるのかと、望みながら、叶わない、そんな日々を今日も過ごしている。


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