書評

2020年07月06日

【書評】『NHKにようこそ!』滝本竜彦【ストーリー考察】 ~名キャラクターたちの魅力とダメ人間に送る「答え」~

全ての落伍者へ送る、日本ひきこもり協会の陰謀


追記:この記事がなんと作者である滝本竜彦先生から直接ご紹介いただきました!とても名誉なことです!感激です!
 なお、滝本竜彦先生の紹介からこのブログにやってきて、このサイトはなんぞやと思われる方は、
の記事にてこのブログの特徴などを解説しているので、よろしければご覧ください。


NHKにようこそ! (角川文庫)
滝本 竜彦
KADOKAWA
2018-10-25


 NHKとはなにか。某公共放送局のことではなく、「日本ひきこもり協会」のことである。この作品は、筆者が鬱屈していた青春時代の半ばひきこもりのような状態の時に出会い、人生の歩み方そのものにも多大な影響を受けた一冊である。筆者のような、いわゆるダメ人間を自負する人間にとって、この小説は、後述に詳しく書くが、何度読み返しても考えされられるものがある。
 なお『NHKにようこそ!』は漫画化やアニメ化もされているが、それぞれ設定やストーリーなどはこの原作小説と異なる部分も大きい。一番原作との差異が見られるのは漫画版であり、ストーリーの根幹となる設定も異なっている。アニメ版は、漫画版のストーリーを踏襲しつつ、全体的には原作のストーリーと設定に寄った、原作と漫画版の折衷というか、原作と漫画というそれぞれの『NHKにようこそ!』をまとめた完全版的な側面もある。
 この原作小説は、三つの『NHKにようこそ!』の中では最もシンプルな形であり、それ故に物語としてもよくまとまっており、『NHKにようこそ!』のテーマをはっきりと示している一冊であると筆者は考える。

「NHKにようこそ!」あらすじ


 物語は、主人公であり、精神的問題を抱えたひきこもりである「佐藤達広」が、アパートの一室で悶々と日々を過ごす場面からスタートする。全てが上手く行かず、精神の調子の悪いひきこもりの日々、そんな中、一人の謎の美少女「中原岬」との偶然の出会い、さらには、偶然アパートの隣室に住んでいた佐藤の高校時代の後輩、「山崎薫」との再開などをきっかけに、ぐるぐると回り続けるひきこもりライフから脱出すべく、ヒロイン「中原岬」の行う、脱ひきこもりのための「プロジェクト」と、旧友「山崎薫」とのひょんなことから始まったエロゲー制作を通じて、物語は進んでいく・・・というのが、本書の序盤における大雑把なあらすじである。

(以下の項目は、ストーリーの根幹に踏み込んだものとなる。ネタバレもあるので、未読の方は注意!)


色々と大丈夫じゃない主人公、佐藤達広の魅力


 一流のひきこもりであり、ダメ人間を自負する男、佐藤達広。精神的問題から大学を中退し、数年間に渡って故郷の実家の両親を騙しながら、ひきこもり生活を続けている主人公である。合法とはいえ幻覚剤を仕入れ、それにトリップして幻覚を見ながら、危険な妄想と陰謀を思案する、色々と大丈夫じゃない主人公である。
 そんな佐藤達広であるが、この『NHKにようこそ!』が今日でも名作として語り継がれる所以である名主人公でもある。その要因は、なんと言っても、筆者のようなダメ人間を自負する人間にとって感情移入がしやすいキャラクター像であるという事が挙げられる。実家の両親にひきこもり生活を隠しながら生活する後ろめたさや、危険で不安定な精神状態など、ダメ人間にとってはしばしば共感する所が多い主人公なのではないだろうか。
 とは言え、彼はダメ人間とはいえ、もしくはダメ人間であるがゆえのプライドなのかも知れないが、旧友山崎をかつていじめの現場から救い、山崎から長らく恩を感じられて慕われていたり、ヒロイン中原岬との不思議な関係にも、一定の「けじめ」のようなものを持って接して、作中終盤に置いてはその関係の重大な岐路において選択をし、最終的には岬ちゃんを救う、一定の芯のある男でもある。そのことが、次節にて述べる、歴史的名ヒロイン「中原岬」の存在に対して、確固たる存在の主人公として、作品にバランスを取ることが出来るキャラクターとして、佐藤達広を名主人公たらしめている点でもあるだろう。

かなりとても色々と大丈夫じゃないヒロイン、中原岬の魅力


 さてこの物語における重要なテーマを担う謎の美少女であり、この物語のもう一人の主人公でもあるヒロイン「中原岬」。彼女は魅力的なヒロインとして今日をしても度々名が上がるほどの人気度の高いキャラクターである。一見して超然的で、明るくとらえどころのない飄々とした振る舞いと、その裏にある深い暗い影とが折り重なったキャラクター像は確かに筆者にとっても最も印象深いヒロインの一人であるし、筆者も『NHKにようこそ!』ファンの「岬ちゃん待望論」を思い続ける一人でもある。
 ストーリーを明かすと、彼女が抱える精神的問題、人生の重さは、主人公の佐藤以上のものであり、彼女の求める佐藤への真意こそが、この物語の根幹でもある。彼女は家庭環境や半生など非常にままならない境遇にあり、ギリギリの精神状態で生きている。だからこそ、彼女は自分自身のために、決して恋愛ではない感情を佐藤に向け、あるいは佐藤を利用して、自らを保っているのである。
 たまにネット上で岬ちゃんがいわゆる「ヤンデレ」に分類されることがあるが、これは異なるでろう。どちらかと言えば、いわゆる「メンヘラ」に近い。「ヤンデレ」と「メンヘラ」の違いは筆者の個人的な考えとなるが、「ヤンデレ」は対象に対する絶対的な恋愛において行動するのに対して、「メンヘラ」は好意対象に向ける感情が決して恋愛であるとは限らないし、どちらかと言えば自分自身のために行動するのである。実際岬ちゃんも、作中後半にて佐藤に真意を明かすまでは、自身のために佐藤を利用していた。また作中のラストを除いては、佐藤に向ける好意も、恋愛というよりは共依存の関係であり、依存すること、依存されることによって自身の立ち位置、存在価値を規定しようとしていたのである。

やっぱり色々と大丈夫じゃない旧友、山崎薫の魅力


 佐藤の岬ちゃんとの関わりと同時に展開される、この物語のもう一つの重要なストーリーとして、旧友山崎とのハチャメチャで、けれど憧れられる友人関係が挙げられる。山崎の存在は、この物語が単なる「美少女ヒロインもの」ではなく、人間関係を描いた一つの名作小説としての立ち位置を築くにあたっての重要なファクターであろう。
 山崎薫という人物は、自立して専門学校に行き生活を行っているという意味では生活環境も作中では比較的マシで、人間性も一見まともで、ストーリーにおける常識人に見えるのだが、その実不安定さや危険性は佐藤と同程度かそれ以上のものである。一度酔ったり怒らせると手がつけられない、そんな人物であり、佐藤との織りなす友人関係は、破天荒で読んでいて面白いものである。
 思えば、山崎のような立ち位置の、男性の友人関係という存在は、美少女ヒロインが主要となる昨今のライトノベルやサブカルチャー小説において軽視されがちなものではないだろうか。この小説では、そうした人間関係がきちんと描かれているということが、ストーリーに面白みと深みを増している。男友達という山崎の存在は、佐藤にとって当初は不審な形でであった岬ちゃん以上に比重が大きいものであり、作中終盤にて山崎が故郷に帰ってしまってからは、岬ちゃんとの関係の問題も相まって、佐藤は深刻な精神状態に置かれることとなる。またネット上においても、『NHKにようこそ!』ファンは「岬ちゃん」のようなヒロインを待望する声と同時に、山崎のような友人が欲しいという声も少なくなく、人気の高いキャラクターである。

ストーリー考察~なぜ本作は鬱屈したものを抱く人間にウケるのか~


 主人公佐藤達広はひきこもりである。ただ、ひきこもりやニートである人間に限らず、主に青春時代に何らかの挫折を経験し、今もなお鬱屈としたものを感じている人間、特に自分のことを「ダメ人間」と自負している人間にとってはこの物語は非常に刺さる。
 その要因としてまず一つに、それは、全く偶然にヒロイン「中原岬」と出会い、偶然に旧友「山崎薫」と再開した、この物語の導入における強い「偶然性」に起因するであろう。そして本書は単なる「偶然性」を超えて、ひょっとしたら明日、いや今日にも、自分にも、この鬱屈とした人生を打開するチャンスがやってくるかもしれない・・・という期待を抱かせるに値するだけの力を持っているのである。明日、自分の元にも岬ちゃんがやってくるかもしれない、そんな淡い期待をも、多くの読者に長年抱かせることになった。偶然、妄想として片付けてしまえば訳ないだろう。しかし、藁にもすがりたい、鬱屈とした人間にとっては、それは偶然で片付けることはできない。自分の人生は変わるべきだし、変わらなければいけない、その力を、ある日突然岬ちゃんがもたらしてくれたら・・・という前述の節でも述べた、「岬ちゃん待望論」的なものは、今日においてもなお存在する。
 この作品が名作たる所以は、もちろんそういった偶然性や待望だけではない。第二の要因に挙げられるのは、個々のキャラクターにおける深い共感性の存在であろう。この物語では、主人公佐藤達広、ヒロイン中原岬、そして旧友山崎薫、メインキャラクターである三人には前述の通り、三者三様の事情が存在し、それぞれがままならないものを抱えている。鬱屈としたダメ人間にとっては、それらの境遇とも自らの精神とが共鳴しうるのである。
 第三に、この小説は、ダメ人間がダメ人間に甘んじる事をダメでいいさと一部は肯定しつつも、ある意味ではきちんと否定し、生きていくことを大前提に、人間的、精神的自立を促してくれているという点である。特に佐藤達広と中原岬の関係、二人のままならない人生、そしてその人生を打開するだけのなにかを、お互いに求めあい、そして最終的にそれぞれが自分なりの、曖昧で不確かで不安定かもしれないけれど、二人は確かに答えを見つけ出すのである。
 以下ストーリーそのもののネタバレとなるが、物語の後半において、佐藤は一度は岬ちゃんの求める「共依存」関係を拒否する。この事は佐藤のプライドであり、そして佐藤なりの岬ちゃんとの関係に対する「けじめ」であろう。佐藤に拒否された岬ちゃんは精神的に極めて追い詰められ、死を決意する。その事を知った佐藤は、岬ちゃんを救うべく、最終盤、必死に岬ちゃんを説得する。そして自らなりの「けじめ」と、岬ちゃんや山崎との関わりの中で様々な事を乗り越えた上で決意した佐藤なりの「人生論」を岬ちゃんに見せつけ、岬ちゃんに生きることを決意させるのである。そして、ラストシーン、二人は「共依存」を超えて、二人なりに見つけ出した形の絆によって結ばれるのである。
 この安易な「共依存」関係の否定は、この物語が決して甘い考えを抱く、いわゆるダメ人間にとっての理想主義的なものを展開するのではなく、それを否定して、はっきりと物語の根幹を示すものである。つまり、決してこの物語はダメ人間に寄り添って、それを肯定するのではなく、むしろダメ人間に甘んじることの否定、いやもっと正確に言えば、「ダメ人間」であることは肯定しつつも、それでも自立して生きていかなければならないという事を読者に伝えているのではないだろうか。それこそが、この『NHKにようこそ』が単なるひきこもりの物語を超えて、今日をして迷えるダメ人間のバイブルとして評価される一因であると、筆者は考える。




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2020年07月05日

【書評】オトナになった今振り返る、小学校の図書室で読んだ児童書の怪談のあんな話こんな話の魅力

 
小学校の図書室で借りたホラー児童書、おぼろげな記憶にあるあんな話やこんな話

 今回は、筆者が小学校の頃に読み漁ったホラーや怪談などの児童書、『学校の怪談』シリーズや『花子さんがきた!!』シリーズ、『怪異百物語』シリーズ、『怪談レストラン』シリーズなどなど例を上げれば筆者と世代が合う方にとってはドンピシャかもしれない本の数々を今一度思い出し、その思い出について語っていきたいと思う。
 思えば、ホラー話の児童書、児童書にしてはやけにエグくてグロテスクな描写のマンガが載ってたり、今日をもってしてもトラウマな、一生忘れられない話(二十歳になるまで覚えていると死んでしまう「あんな言葉」とか、当時は二十歳など遠い未来だと思ったものだった)など、恐ろしくも不思議な思い出に満ちている。しかし一方で、かなりの実験作というか、奇妙奇天烈な話も多かったような覚えがある。今思うと、児童書という場において、作者たちも実験のような趣きで色々書いていたのだろうか。
 いくつか例を上げてみると、アレは何だったか、ホラーというよりSF寄りであろうという漫画だったのだが、「不思議なネックレスを拾ったのだけれど自分だけ身に付けなかった、身につけた学友はみんな宇宙人に操られてしまって、校庭で整然とならび、宇宙人に攫われるのを待っていた。恐ろしくなって帰ったら母も同じネックレスを付けていて、「学校へ早く帰りなさい、良い子なんだからネックレスをつけて宇宙人に攫われなさい」みたいなことを言われるオチ」だか言うような話である。
 または、「チーズケーキが大嫌いで、いつも捨ててしまう男の子が、ある不思議な店のケーキを捨ててしまったら、チーズケーキに呪われて、浴室のバスタブの中で気分が悪くなって倒れ、そのまま金縛りになってしまい、動けないところにバスタブの蛇口からチーズケーキが流れてきてやがて窒息してしまう・・・」なんて話もあった気がする。
 あるいは「毎晩家の外の道路が動いているような気がする。不思議に思っていたら、一緒に見てた弟が言った、「お兄ちゃん、動いているのは外じゃないよこの家も他の家もみんなそうだ!みんなあのマンホールに吸い込まれているんだ!」」というような、今思うとなんとも言い難いラヴクラフト作品めいたような怪奇話などなど、思えば「何じゃそりゃ」と当時からして子供心に思った話も多かった。前述の通り、作者たちもかなり実験しているというか、冒険しまくっていたように思える。
 さてそんな首をかしげるような話もあれば、熱心になって読み耽っていたものもあったものだ。例えば講談社KK文庫の『学校の怪談』シリーズだったろうか。古めのシリーズなので、ありがちな話として臨海学校とか旧校舎とか聞き慣れなかったり、イメージは出来ても身近にはないものもあったような気がするが、筆者が好きだったのは最後の読者投稿欄であった。そこには読者投稿の怖い話の体験談や、各学校の七不思議などが載せられていた。とりとめのない話も多く、意味不明と言っても良い話もあったのだが、それがかえって逆に、妙な信憑性を帯びていて、読んでいて楽しかった思い出がある。
 それと筆者イチオシの一冊、ポプラ社の『学校の怪談大事典』である。この本は当時の図書室でも人気が高く、気を抜くとすぐに誰かに借りられてしまっていたものである。さてこの本は、大事典という名の通り、色々な怪談を場所や物事、パターン別に分けてらえて話が掲載されている。ちょっとした厚みがあって、その本を借りられた時は、何度も何度も読み返したものだ。
 また筆者お気に入りのシリーズが、不思議な世界を考える会の『怪異百物語』である。こちらも、全国で起きた話がジャンルごとに一冊ずつ掲載され、とりとめのない話から、「耳掃除をしていたら虫の足が出てきた」とかリアルな意味で怖い話とか、多種多様な話が掲載されていて、楽しんで読んだものだった。
 さてさてそんな児童書を振り返ってみると、小学校時代の妙なノスタルジーに浸ってしまうものである。理科室の独特の匂いと雰囲気、たしかにあの雰囲気に人体模型やらが置かれていたら、夜中に動く!とかそういう発想になりますわな。しかし今となってはそんな理科室の雰囲気が妙に懐かしかったりもする。また筆者の母校は築年数が長く、全体的に薄暗くジメッとした雰囲気があったため、余計に怖さを感じたものだった。思い返すと、図書室脇にあったいつも日当たりが悪く薄くらい資料室に入って覗き見た戦争についての写真資料が載った本は、やせ細った子供の写真や整然と並んだ兵隊の写真など、子供ながらに戦争の恐ろしさのようなものを感じた気もする。図書室と言えば代本板というのもあっただろうか、ああ、書いていると思い出が、どんどん出てきてしまって懐かしい。
 さてさて小学校時代に読んだ児童書と言うこともあって、おぼろげな記憶をたどったので少々あやふやで正確さに欠ける面も否めない。実際今日をしても、あの時に読んだ本なんだっけ、と気になりだしてネットで延々と検索してしまうこともある。そんな児童書の数々だが、筆者が思い出せる分のシリーズはAmazonリンクを貼っておくので、この記事を読んだ方が童心に帰る手助けになれば、嬉しい限りである。

学校の怪談(1) (講談社KK文庫)
楢 喜八
講談社
1990-11-08




学校の怪談大事典
ポプラ社
2009-07-01




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2020年07月02日

【書評】『歴史のなかの人びと』彩流社 ~歴史の中の個人とマスターナラティブ~


樋口映美編『歴史のなかの人びと』彩流社 書評 

 今回紹介するのは彩流社から出版されている『歴史のなかの人びと』。
 歴史に名を残したような有名人ではないものの、歴史の中に確かに生きていた人びとに焦点を当てた一冊。歴史マニアの端くれである筆者個人の考えとしては、歴史の中で有名人が主導した政治史とか、英雄たちの歴史とかに興味がないわけではないものの、より焦点を当てて考えてみたいと思っているのは、本書に書かれているような、歴史に名を残さなかった個人が、その当時の社会の中でどのように生きていたのかという生活模様であったから、本書を立ち読みして、特に第三部の「事件・出来事に見える社会」という節に興味を持って本書を購入した。ネタバレ?になるため詳細は省くが、南北戦争の動乱の時代に巻き込まれた奴隷所有主の白人一家の混乱を日記から垣間見る節では、筆者は決して奴隷制を肯定するわけではないが、奴隷制に置いて善と悪というように区分された時に悪の側となってしまう白人もまた、生まれた時代に翻弄された一人の人間に過ぎなかったのではないかという感情を抱いた。ともあれ、その人物が白人であるとか黒人であるとか、そういった色眼鏡を外して個人を見ることが、昨今アメリカで行われているBLM運動においても真に求められるべき理念なのだろうかと、個人的に思った次第である。
 また「マスターナラティブ」というキーワードが本書では重要となっている。「マスターナラティブ」とは、一般に教科書に書かれているような通説の歴史であるが、当然のことながら実際の歴史には教科書に乗らなかったものの歴史の中で活動を行った人びとが大勢いるわけである。そういった人々の視点から見ると、歴史用語としてサラっと学ぶような出来事も、全く違った見方が出来るということである。
 全体として本書は、歴史の専門書でありながら文章が比較的平易で読みやすかった。全体的にアメリカの歴史に偏っているが、どこの国の歴史の話というのもそれほど気にならない個人の話を扱っているので、歴史好きの方で、歴史の中の個人とか、その時代の生活模様とか社会史的なことに興味がある方は手にとってみるといいだろう。



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2020年06月30日

【書評】『類語国語辞典』角川書店 ~独自の使いやすさのある類語辞典~


 このブログ初めての書評レビュー…といっても辞典の書評というのも少し妙である。
 今回紹介するのは角川書店出版の『類語国語辞典』である。そもそも類語辞典とはなんぞやという方に説明すると、ある種の単語の類義語をまとめた辞典である。小説家からブロガーまで、物書きという人種には必須のアイテムであると言っても良い。また物書きでない人にも、語彙力を高めたいという方にはうってつけの種類の辞典である。
 そして筆者がこの角川書店出版の『類語国語辞典』を選んだ理由は、この辞書の特徴として、単語が概念ごとに分類されている点にある。例えば「天文」とか「位置」とか「動作」「感覚」といった概念ごとに単語が分類されていて、裏表紙に00から99まで100の概念や事象が並べられており、辞書のページもその通りに並べられているのである。これがなかなかに便利で、実際に何かを書くときに言葉を選ぶときというのは、言葉のイメージというものがまずあって、そのイメージからページをめくって語彙を選べるというのがなかなかに使いやすい。もちろん五十音の索引からも単語を探すことが出来る。
 値段も税別で3200円と手頃だった。しかし手頃なりにハンドサイズに収まっているため、ヘビーに使う方には少し物足りなさを感じるかもしれない。50000字収録と言うと多いように感じるが、類語の種類ごとに分けてみると、少々少ないようにも感じる。とはいえ、入手性と値段、そしてサイズを考えればちょうど良くも思える。類語辞典というものに興味を持った方がまず購入するにあたっておすすめの品である。

類語国語辞典
正人, 浜西
角川書店
1985-02-01




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