私版・唯物史観的「インターネット」発展段階論 ~マルキシズム的な何か~「萌え」の構造 ~「萌え」の対象物と感情内容~

2020年07月13日

【報告】とらじぇでぃさんという方によってバーチャリズムを紹介して頂けました!/バーチャルYouTuberについての筆者の告白


 この度、とらじぇでぃ@tragedy_phさんの記事
にて、筆者が提唱した「ヴァーチャリズム」についてわかりやすく取り上げてくださった。とても嬉しい限りであり、ありがたい事である。
 またはてなブログに上げられていた方の記事、
 も興味深い内容であったので、ぜひ見ていただきたい。

 余接さんという方や様々な方々の書かれた「Vtuber」の在り方の論考について、様々なアプローチから考える試みがなされていた。筆者も、ヴァーチャリズムという思想を一人で考え続けていたことにより、ある種凝り固まってしまっていた考えを、今一度見直し、再考してみようという、新鮮な気持ちになれた。

 ただそれ以上に重要なことにも、今一度気付かせてくれた。活動される様々なバーチャルYouTuberの方々の提供されるエンターテイメントを、素直な気持ちで楽しむ事こそが最も重要なことであるという、当たり前ではあるが、筆者のように、類型、構造という観点からバーチャルYoutuberを論理立てて考えている内に、知らず知らずのうちに思想にばかり凝り固まって、最も重要な、ヴァーチャルを楽しむという、そもそも筆者がかつてバーチャルYouTuberを初めて見た時の新鮮な気持ちを忘れていたのではないかと、反省させられた。さて、ここまでが、とらじぇでぃさんの記事についての感想である。

「バーチャリズム」とはなんぞや?という人のための関連記事一覧
多分一番ヴァーチャリズムについてわかり易い記事。初めての方はまずこちらからどうぞ。

・筆者が初めて書いたヴァーチャリズムについての記事。ヴァーチャリズムを徹底するために、ヴァーチャルが現実から完全に独立するということは、どういう世界でなければならないか、電波たっぷりに空想している。

今日において筆者の考えるヴァーチャリズムのような事に取り組んでいる方の紹介と、今現在の世界における現実的なヴァーチャリズムの実践方法

・ヴァーチャリズムにおいて考える、ヴァーチャルYouTuberの「魂」についての考察。

・現段階では、この記事は読まなくていいです。
 ヴァーチャリズムの哲学的な立ち位置の確認と、思想的な裏付けをとって、ヴァーチャリズムの思想としての妥当性の確保をしたかったのだけど、哲学については全くの素人なので、何を書いているのか自分でもわからなくなった。これから充実した記事にしていきたい。


 そして以下は、この度において告白することを決意した、筆者自身のことについてである。
 とはいえなにか重要なことを言っているわけでもなく、極めて私的なことを語っているだけであり、もしかしたら人によっては不快な内容であるかも知れないので、興味のない方はここでページを閉じて欲しい。





 さて、告白とは何か。それは筆者がこのブログを始め、「のらくら」として活動してからずっと、吐いていた嘘についてである。
 筆者はTwitterなどで、バーチャルYouTuberについては最近ハマった、初心者であると何度かツイートをしたが、これは半分は卑怯な嘘であり、初心者という体を装うことによる便宜なのであると同時に、もう半分は、もう一度、素直な気持ちでバーチャルYouTuberを見たいという、筆者の素直な気持ちの現れでもある。
 どういう事なのかというと、筆者は一度、バーチャルYouTuber界隈から一度完全に離れていたのである。

 筆者は確か2018年前半の頃の、バーチャルYouTuberブームの最中、この界隈を知った。筆者にとっては、驚くべき界隈だった。数々の個性豊かなバーチャルYouTuberの面白さにハマったのはもちろん、筆者が子供の頃から憧れていたヴァーチャルという物が、一定の形で実現しているということに感動したのである。そこにはヴァーチャルという形で、一つの世界が成立しているという驚きに、筆者は熱狂した。個人勢、にじさんじ、アイドル部、ホロライブなど、例を挙げればきりがないが、夢中になって、いわゆる「複窓」をして、時間さえあれば昼夜見漁っていた。
 
 ただ、そんな中で、ある疑問、不満点も抱いていた。いわゆる「中の人」とか「前世」とかについて詮索する人間がいることについてである。せっかくバーチャルYouTuberが一つのキャラクターとしてそこにあるのに、どうして現実に引き戻すような行為をするのだろうか? とずっと、疑問を抱いていた。筆者にとって気になったのは、悪意を持って特定行為をする人間ももちろんいるものの、中にはいわゆるアニメキャラクターの「声優」を見るような感覚で、「中の人」を詮索する人間もいるということだった。それは昨今において、「声優」そのものを売り出し、アイドル活動を行う文化があるという事は知っていたが、その価値観をバーチャルYouTuber界隈に持ち込まれることは、はっきり言って筆者にとっては不快であった。

 バーチャルYouTuberバーチャルYouTuberとしてただそこにいる。それだけで十分だし、それ以上を求める意味が分からなかった。今思えば、これは筆者の理想であるバーチャリズムの根源だったのだろうが、筆者はいささか狂信的なまでに、現実の想定を嫌っていた。ただ「そこ」にいて「それ」を見る。それだけで何故満足できないのかと、筆者は思っていた。

 やがてバーチャルYouTuberというブームにおいて、光に満ち溢れていた界隈にも一定の期間が経つことで暗い影が差すようになってきた。スキャンダル、炎上、特定、企業の不祥事、そして引退。考えてみれば、2017年中盤からのバーチャルYouTuber大ブームにおいては、視聴者も、あえて言うなら運営側も、夢を見ていたように思える。しかし、夢はいつまでも夢ではない。嫌でも現実との折り合い、衝突が起こり、特にそれは狂信的なまでに幻想を見ていた、見ていたかった筆者に嫌でも現実が突きつけられる事となった。なにか事件がある度に、もともとメンタルの強くない筆者は強いショックを覚え、それが一度や二度ではなかった。そのうち筆者は恐ろしくなった。数々の事件にしてもそうだが、こうまで狂信的にバーチャルYouTuberに夢を見続けている自分が、である。

 その事に気づいた時、筆者はバーチャルYouTuber界隈から、なから無理矢理に距離を取って、やがて完全に離れた。そうすることで、自分を保っていたかったのだ。

 しかし、やはり一度は心の底から楽しませてもらった界隈をそう簡単に忘れることは出来なかった。けれども、界隈に戻れば、またなにか事件が起こるのではないかという不安があった。実際離れている間にも、遠くからちらほらとあれやこれやの事件についてが聞こえてきて、その度筆者は耳をふさいだものである。

 そんな事を繰り返していたが、最近になって、このブログを初め、Twitterを始め、考え方が変わった。それは筆者の精神状態が今においてある程度良好であることも関係するのだが、一番は、新しいことを始め、それに伴って、昔見ていた夢を、もう一度見てみたいということであった。そして、界隈に戻るにあたって、もう一度新鮮な気持ちで、初心者として、一からバーチャルYouTuberを好きになりたいと思ったのである。
 そして、筆者は、界隈にいた時も、離れている間にもつらつらと考え続けていた、「バーチャリズム」という思想をブログに綴った。正直に言えば、かなり自分では空想的な、やや恥ずべき産物でもあると感じていたのだが、他者、とらじぇでぃさんによって肯定されることで考えが変わった。これからは、自分の考えを、あくまで人の迷惑にならない限りで人々に知ってもらいたいと思ったのである。そして今回、とらじぇでぃさんの記事によって、改めて、バーチャルを楽しむという素直な気持ちを思いださせてもらった。最近若干思想的に凝り固まっていた筆者であるが、改めて、自分を見つめ直したいと思う所存である。


 以上が、今日までの筆者の思いと、そして現在の思いである。いささか長く語ってしまったが、もしも最後までつきあって読んでくれた方がいたら、心からの感謝を述べたい。



このエントリーをはてなブックマークに追加
voiceofdrone at 21:27│Comments(0)バーチャリズム 

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
私版・唯物史観的「インターネット」発展段階論 ~マルキシズム的な何か~「萌え」の構造 ~「萌え」の対象物と感情内容~