「萌え」の構造 ~「萌え」の対象物と感情内容~noteにて、分かりやすくバーチャリズムをまとめてみました。

2020年07月15日

(追記版)ヴァーチャリズム/バーチャリズム(Virtualism)における具体的定義とバーチャルYouTuberにおける「魂」の説明

 (2020/07/10追記)わかりやすいヴァーチャリズムの定義について記事を書きました

(2020/07/15追記)noteにてさらに分かりやすくヴァーチャリズムについて書きました。
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 少々現実的、実際的な、当たり前なことを当たり前にあえて言うのであれば、ヴァーチャルYouTuberという活動を現象的に捉えるならば「現実における個人が、インターネット上でアバターを使用し、ヴァーチャルYouTuberというキャラクターとして振る舞う」行為であると言える。この事は現象的には否定しようのない事実であり、筆者の唱えるヴァーチャリズムという思想はその現象自体を否認し、何か代わりとなる空想的価値観を述べる思想ではないとはっきり断言しておく。
 前に書いた記事ヴァーチャルの可能性とヴァーチャリズム(Virtualism)の提唱では、確かに未来的な空想を書いたが、それはあくまで、究極的にヴァーチャリズムが実践可能である社会が実現される未来像を語ったものであり、ヴァーチャリズムという思想そのものは、極めて具体性を持った単語として定義したい。

 ヴァーチャリズムに置いて重要なのは「ヴァーチャルYouTuberとして振る舞う一つのキャラクター」という存在を重視し、その人格そのものの独立性を重視し、あえてそこに現実を持ち込む必要性を認めない思想であるともはっきり言っておく。言い換えるならば「現実とは違う世界において違った振る舞いをしているキャラクター(人格)」そのものの現実を前提としない独立を主張する思想であり、そこに一定の個別的な人間的実存性の価値を認める思想である。

ヴァーチャルYouTuberにおける「魂」と「キャラクター」


 Vtuber界隈においては、いわゆる「中の人」という存在をもともと遠ざける価値観が見られた。婉曲的に「中の人」を「魂」と表現し、ヴァーチャルYouTuberという存在は、アバターに「魂」が宿った存在として語られることもある。ヴァーチャリズム的な価値観においては、それは重要な捉え方であり、本質的なものを捉えた見た方であるともいえる。

 しかし一般的に「魂」の存在は不可分であり、そして不可分な「魂」がそれぞれが別々に振る舞うということに対してヴァーチャリズムにおいてはそれぞれの「人格的」独立性を認めるということは、少々矛盾のようなものがあるという考えを抱く人もいるのではないだろうか。それに答えるためには、ヴァーチャルYouTuberにおける「魂」と呼ばれる存在と、「キャラクター」の存在をより明確にしなければならない。

 ヴァーチャルYouTuberにおける「魂」とは何か。一般的な意味で言えば「魂」は個人が有する精神的な根源であり、英語で言えば「spirit」であり、「soul」であり「anima」である。しかしヴァーチャルYouTuberにおける「魂」とは、それ自体がヴァーチャル世界を通して見たヴァーチャルキャラクターに対する、ある種の説明付けであり、「アバター」という身体に「魂」が宿ることによって、人間的なヴァーチャルキャラクターの存在が成立するという見方である。厳格にヴァーチャリズム的な視点から見れば、ここにはやはり、「現実の人間性」が僅かであるが想定されていると言わざるを得ないのだが。

 そもそもなぜヴァーチャルYouTuberにおいてあえて「魂」の存在を説明付けなければならないのか? これはヴァーチャルYouTuberという新たなる形態のキャラクターに対する、従来的なアニメキャラクターであるとかのヴァーチャルキャラクターとは明確に異なる、リアルタイムで双方向的なコミュニケーション能力を有するキャラクターに対する説明でもあっただろう。ヴァーチャルYouTuberは魂を有するから、アバターを通して、リアルタイム性をもってコミュニケーションを図ることが出来る。これこそが、従来とは全く異なるヴァーチャルYouTuberというヴァーチャルキャラクターの特徴であり、「中の人」を遠ざけ婉曲的に表現することによる「魂」の説明はそれを上手く捉えた表現であると言えるであろう。ヴァーチャルYouTuberにおける「魂」とは、本来的な意味での「魂」という用法に加えて「キャラクター(人格)」という意味合いも含んでいるのである。

 「キャラクター(character)」という、本来的な単語の意味である「特徴」、「性質」そして「人格」という意味合いは、ヴァーチャルにおける存在と現実存在とを分け隔てる上で、うまく説明付けられている単語であると言えるだろう。そもそも普段から私達は場面ごとに「キャラクター」を使い分けて振る舞っている。それは現実におけるさまざまな場面でもあるし、今日においてインターネット上では匿名でさまざまな「キャラクター」を演じ分ける事もできる。そういう意味では、今日において私達は、インターネットを使用する上でヴァーチャル存在として振る舞っているとも言えるのだ。
 そしてこの「キャラクター(character)」という概念は、ヴァーチャルYouTuberにおける「魂」の概念をヴァーチャリズムに基づいて説明するのにも役立つ。「キャラクター」は可分的なもので、前述の通り個人がいくつもの「人格」を有するという事は可能だからである。
 いわゆるヴァーチャルYouTuberにおける便宜的な説明としての「魂」を、ヴァーチャリズム的な立場から「キャラクター」という単語を用いて「魂」を論じるならば、「魂」の「ヴァーチャルYouTuber人格」を「人格」として尊重し独立性を認めるということこそがヴァーチャリズムなのである。

ヴァーチャリズムにおける「魂」の定義


 ただ、厳密なバーチャリズムの立場からは既存のヴァーチャルYouTuber「魂」という便宜的な説明を全て肯定することは出来ない。なぜならば、前述の通り、「アバター」に「魂」が宿る事によって、ヴァーチャル・キャラクターが成立するということは、概ね十分な説明なのだが、その「魂」はどこからやってきたのか?という事を考えた時、それに対する疑問が浮かんでしまう。

 この事を回避するため、あくまで厳密なバーチャリズムの立場、画面に映る「その人」を「それ」として「そのまま」見るという考え方においては、少し発展させて、独自の「魂」概念を定義付けなければならない。
 ヴァーチャリズムにおけるヴァーチャル・キャラクターの「魂」とは、あくまで、私達が画面に映って配信を行っている「その人」が保有するであろう、どちらかと言えば、本来的な、一般的な意味での精神の根源としての「魂」である。
 さらに言えば「魂」は複数の独立した「キャラクター(人格)」を生み出す精神的な源泉であるという事は前述と変わらない。重要なのは「その人」が持つ「魂」は、ひょっとすればどこか他の場所では他の「キャラクター」を生み出しているかも知れない。
 だが、あくまでヴァーチャリズムにおいては、「そこにいる」、「その人」の「キャラクター(人格)」だけを見るべきなのである。なぜならヴァーチャリズムは、「ヴァーチャル・キャラクター(人格)」の振る舞いを、一つの独立した人格として、絶対的に尊重する思想だからである。
  一方、逆説的に言えば、ヴァーチャリズムの実存的な立場からは、そこに「キャラクター」が存在するならば、わざわざ「魂」の説明をすることは必ずしも必要ではない。なぜならば、「魂」があろうがなかろうが、そこに「その人」は存在するからである。「魂」の説明が必要であれば、上記のように定義するが、私達が普段人間を見る時にいちいちその人の「魂」がどうあるかなどと考えるだろうか? という事でもある。ヴァーチャリズムにおいてはあくまで「ヴァーチャル・キャラクター」は一人の、個別的な独立した「人格」であるのだから。
 



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voiceofdrone at 02:10│Comments(0)バーチャリズム | Vtuber

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