【デカルトの発見「我思う故に我あり」】近代哲学の基礎における意識の定義付けについて【最果ての土地シリーズ①】南極圏の無人島、ブーベ島の魅力

2020年07月08日

うつ病思考を改善するためには、文章を書き、記録を付けまくれ! ~モヤモヤ感を文に起こすという事~

実践するうつ病改善法。思考を文字に起こす。


 前の記事、【うつ病体験】うつ病患者自身が考える「うつ病意識」の特徴 ~強迫的完璧主義と自己嫌悪の連鎖~にて、うつ病の特徴的思考である、「強迫的完璧主義」と「自己嫌悪の連鎖」という二つの物を紹介した。前回の記事を書いた時には、残念ながら筆者にはこの思考から抜け出す方法は思いつかなかった。

 しかし、ブログとTwitterを初めてから、少し自分のうつ病が良くなっているという事に気づいたのだ。これは何故だろうか?結論から言えば、日々考えているモヤモヤとした思考を思考のままにせずに、文に起こす試みを行ってきたからだと筆者は考える。なぜ思考を文に起こす事が重要なのか? 今回の記事ではそれを説明していきたい。


モヤモヤ感を文に起こすと、「答え」が見つかる


 うつ病患者がうつ状態に陥る原因として、筆者の場合は、ストレスなどの様々な要因から、まず心に「モヤモヤ感」を感じる。その「モヤモヤ感」を放っておくと、やがてそこから負の思考が生まれる。一度負の思考を抱くと、そこからどんどん連鎖して、いわば「自己嫌悪の連鎖」に陥り、頭が不快な思考で満たされると、行動力が鈍り、抑うつ状態へと繋がる。

 筆者の経験上、うつ病には波があり、一度波の底である抑うつ状態に陥ると残念ながらそこから回復するためには、何かよっぽどのきっかけがあるか、気分の波が上向くのをひたすら待つしかない。要するに、一度抑うつ状態に陥ってしまうと手立てがないのだ。だからこそ、抑うつ状態の初期症状である「モヤモヤ感」のうちに、この「モヤモヤ感」に決着をつけるのだ。具体的には、その「モヤモヤ感」を文に起こすのである。とりとめのない、言葉にできないようなモヤモヤ感を、あえて言葉にして、真っ向から立ち向かうのだ。
 実際に、筆者が「モヤモヤ感」を文に起こすとこのような形になる。
今日も一日何も出来なかった」という「モヤモヤ感」、これをこのまま放っておくと、「なぜ何も出来ないのか」という思考にいたり、そして「自分はだめな人間だ」となっていく。しかし、「今日も一日何も出来なかった」と考え始めた段階で、それを文章にするのだ。

 ただ、ここで疑問が生じるのではないだろうか。「今日も一日何も出来なかった」という事を文に起こしたとして、結局それは「自分が駄目な人間だから・・・」という方向に向かっていくのではないか? という事である。またしても結論から言うと、確かにそうなる事もあるが、重要な事は、「頭の中で思考する」のと、「文に起こしながら」思考するのとでは、思考の流れ方が違うのだ。

 私達うつ病患者は、ある種頭の中で思考を重ねるということに慣れている。慣れているがゆえに、普段通りに思考すると、それは容易に負の方向へと流れていくという癖が生まれているのだ。しかし、私達が紙やパソコンに文字を起こしながら思考を進めると、頭の中で思考するようにスラスラとは行かない。文章を書くという行為をする以上、文章を書くという思考を行いながら脳を働かせることになる。
 この縛りのような思考の枷が、うつ病患者の負の方向へ流れる思考の癖を抑制してくれるのだ。さらに言えば、文章を書くという行為を行うと、私達は無意識的に、文章を日本語として分かりやすく、論理的に筋道立ったように仕上げようとする。この思考の変化が重要なのだ。頭の中で思考すると、それは容易に負の方向へと流れていく。しかし文を書きながら、論理的に考えてみれば、そこには一定の思考の形を残すことが出来るし、すると結論も違ったものになる。

 先程の「今日も一日何も出来なかった」という思考を論理的に考えてみれば、「全く理由なくただ何も出来なかったのか?」という疑問を感じざるを得ないのだ。例えばそれは「前日に睡眠不足だった、そういえば最近生活リズムが崩れている」とか「散歩をすれば頭が冴えるんだけどそれができないからかな」といったような具体的理由が浮かんでくるのだ。

 もちろん、うつ病患者にとって実際にこれらの答えを参考にしたところで、睡眠を十分に取ろうと思ってもどうしても眠れないということもあるし、散歩に行きたくても外に出られないという事もあるだろう。しかし答えを参考に行動するのはもう少し先の話で良いのだ。重要なのは「答え」が見つかるという事そのものである。人間は「答え」が見つかれば、一定の満足感と納得感、肯定感を得る。これらの感情を文章という形あるものによって得る事こそがまず重要なのだ。
 「モヤモヤ感」を感じたうちに、すぐに文章を書き、論理的思考を行ってみる。ぜひ試してみてほしい。

毎日の生活と自分の思考を記録につける

 この記事の冒頭に挙げた「強迫的な完璧主義」、この思考については冒頭に貼った該当記事を参照してもらえれば分かりやすいのだが、読者の皆様も記事をまたぐのも面倒であろうから、ここで手短に書いてみる。
 うつ病患者は完璧主義的であることが多い。完璧主義的だからうつ病になるのか、うつ病になったから完璧主義的な思考になるのかという順序は若干の議論の余地があるだろうが、筆者の考えを述べさせていただくならば、もともと完璧主義的な人間は確かにうつ病になりやすく、さらにうつ病になることによって完璧主義がより「強迫的」になるのだ。こうして「強迫的完璧主義」とも言えるような思考に囚われることとなってしまう。

 だが、そもそもなぜ完璧主義になるのだろうか? 「理想が高い」とか「かくあるべき」という考えが強いからとも言えるだろう。そのため常に100%の力を発揮して、加減というものを知らずフルパワーで動き続けてしまうから、パンクしてしまうのだ。確かに理想が高い事は良いことであるし、常に100%を目指すということは理想的なことではある。しかしながら、私達生き物は、常に100%の能力のフルパワーを発揮して生きるようには出来ていないし、パーフェクトでなければならないのは、本当に人生のここぞという時だけで良いはずである。あとは手を抜いたっても良いのだ。

 もちろん「そんな事頭では分かってるけど・・・」という声はあるだろう。だからこそここでも重要になってくるのは、現在の仕事のタスクを文章に起こし、それを分析してみるということである。仕事を一覧にしてよく考えてみれば、「これは手を抜いても良いけれど、これはきちんと仕上げないとダメだな」といった考えが自ずと浮かんでくる。普段は完璧主義的な思考が、癖になって染み付いているから、考えずに仕事を行うと全てに100%の力を使ってしまう。
 ここで、自分自身を客観視することで、抱えているタスクの内容を文章に起こせば、「仕事1は60%の出来でも良いだろう、仕事2は80%は出さなければダメだな」と、具体的な計画も頭に浮かんでくるのだ。あとはその文章に起こした力配分の通りに仕事をすれば良い。初めのうちはやはり慣れないかもしれないが、一定の継続によって、徐々に力の配分が分かってくる。
 そもそもうつ病患者が完璧主義的であるというのは、長年に渡ってその通りに生活してきた凝り固まったルーチン化した思考の癖によるものである。その癖を、ここでも文章を使って、ほぐしていくのだ。

 さらに言えば、これは筆者の考えではなく、精神科医に紹介された立派な精神医学の療法であるのだが、毎日の調子を日記にして自分自身を観察してみるという方法がある。これも、気分という曖昧なものを文章にすることによって、気分の波を可視化し、「自分がどんな事があったら嬉しかったか」「どんな事があったら嫌だったか」と言うこともリストにしてみて、嫌なことは極力遠ざけるのである。どんな事がきっかけで自分は嬉しくなるのか、または嫌な気持ちになるのか?という事を、言葉にしてまとめることによって、自分を客観視出来て、嬉しくなることに向かい、嫌なことは遠ざけるということが可能となる。

 客観視という事は重要である。なぜならば、一度抑うつ状態に陥ってしまうと、ひたすら主観的な鬱感情の中に溺れてしまい、客観的に自己を見るということが全く出来なくなってしまうからである。筆者にしても、気分が落ち込んでいる時に自分を客観視することは難しい。だがここでも、文章として今まで残してきたものがあると、調子が良かった時の自分が自己を客観視していたという材料が見つかり、客観的な自己に対する記録を見返すことで、鬱の底から抜け出す一歩になるのではないか…と筆者は考えている。

終わりに

 さていかがであっただろうか。うつ病の重大な問題として「何をしてもうつ状態になれば、結果的に元の木阿弥」になってしまうという事がある。しかし、繰り返すようだが、文章に書いたものは消えない。文章を書くことによって、記録を残し、今までの自分を振り返ることが出来れば、また調子が悪くなってしまったとしても、それまでに積み上げた確かな形ある客観的な自己分析が残るのである。これは自分を知る上で重要な材料である。

 孫子の兵法に「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という有名な言葉がある。「彼」とは敵のことであり、私達にとっての敵はうつ病である。この続きを挙げると、「彼を知らず己を知れば、一勝一負す。」となる。敵を知らずとも、自己について知っていれば一勝一負。つまり五分五分になるのだ。さらに続きを挙げると、「彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし」つまり敵も自分も知らなければ、戦うごとに危ういのだ。これまでの筆者がそうであったように、うつ病という敵を知らず、更に己をも知らなければ、気分が落ち込みそうになる度に危うかった訳である。
 うつ病という未だ現代医学においても未解明な部分がある病気を既存のことだけでも知っておくことはもちろん重要だが、それ以上に己を知れば、少なくとも五分五分にはなるのだ。もしあなたがうつ状態に引っ張られ気分がどん底に落ち込んでしまう…という事があっても、己さえ知っていれば、そこをなんとか踏ん張れるか、落ち込んでしまうか五分五分にすることが出来るわけである。

 この手法は、筆者が思いついたものだが、おそらく精神医学においては「認知行動療法」とかと言った名前で、既に発明されていることであろうし、付け加えるならば、万人のうつ病に対して効果的とは、残念ながら断言できない。しかし、少なくとも筆者はそれでいくらか改善した。うつ病に悩む方がこの記事を読んでくれて、この手法を使って少しでも症状が改善したとすれば、筆者にとってそれ以上に嬉しいことは無い。


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voiceofdrone at 22:17│Comments(0)エッセイ | うつ病

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