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2020年07月07日

【歴史エッセイ】「ここではないどこか」にあるユートピアを目指して ~理想郷の人類史~

私がアメリカに来たのは、この国では道に黄金が敷き詰められていると聞いたからでした。
しかしここに着いて三つのことを知りました。
まず第一に、道には黄金など敷かれてはいないということ、
次に、そもそも道はまったく舗装されてさえいないこと、
そして最後に気付いたのは、この道を舗装する役目は私に課せられているのだということでした。
―映像の世紀第三集「それはマンハッタンから始まった」より―

 上記の言葉は20世紀初頭におけるアメリカ移民による、アメリカへの憧れと、その現実とのギャップについての皮肉である。19世紀から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパを始めとする旧大陸から、新大陸の新興国家アメリカ合衆国へ移民する人々が多くいた。彼らは貧困を逃れるため、あるいは戦火を逃れるため、あるいは差別を逃れるためにアメリカに渡った。しかし、実際には、ヨーロッパ移民の中でも特に「新移民」と呼ばれる20世紀初頭にアメリカにやってきた人々は、必ずしもアメリカの土地に定住することなく、もともとが単なる出稼ぎ目的であったり、あるいはアメリカの現実に失望して、かなりの割合がヨーロッパの故郷へと帰っている。
 19世紀から20世紀の動乱の時代、旧大陸であるヨーロッパの人々には、アメリカという新天地は様々な幻想をもって見られていた。「世界一豊かな国アメリカ」、「一攫千金の地」、「アメリカン・ドリーム」、そんな標語に寄せられて、多くの人々がアメリカへと移民した。しかしその実態は、ヨーロッパとさほど変わらないか、あるいはもっと酷い移民街の貧困と低賃金労働などといった現実であった。

 古代ギリシアにおいては、アトランティスと呼ばれる理想郷があったが、一夜にして海に沈んだという伝説があった。あるいは楽園伝説として、「アルカディア」という牧歌的な楽園があると信じられていた。あるいは旧約聖書の創世記においては、かつてアダムとイヴが住んだエデンの園という理想郷が説かれた。
 あるいはかつてヨーロッパ人は東の果てのどこかに、「プレスター・ジョン」と呼ばれる国王が収める理想的なキリスト教国があるという伝説を信じた。あるいは、マルコ・ポーロは東の果てに黄金の国ジパングがあるといった東方世界の驚異をまとめた『東方見聞録』に、自らの体験を綴り、その本はインチキなでたらめであるという意見もありながら、確かにヨーロッパ人に東方世界への憧れを抱かせた。大航海時代には、新大陸アメリカの発見とともに、新大陸には黄金の散りばめられた都市、いわゆる黄金郷(エル・ドラード)があるとの伝説が広まった。
 16世紀のトマス・モアは、架空の島の理想郷の物語『ユートピア』を書いた。「ユートピア」とは、「どこでもない場所」という意味である。
 東アジアにおいても、西方の遥か果てには天竺と呼ばれる理想郷があるとか、または中国には「蓬莱」と呼ばれる東の果てにある仙人が済む理想郷があるという「蓬莱伝説」があったし、桃源郷というユートピア的な隠れ里があるという伝説もあった。古代日本においても「常世の国」という海の彼方のどこかにある永久不変の不老不死国があると信じられていた。
 いずれにせよ、歴史上人々は、「ここではないどこか」に理想郷があることを信じ、それを追い求め続けたのである。それは、自らが済む国の貧困であるとか戦争であるとか、そういった現実を離れて、世界のどこかには、きっと理想的な、平和で豊かな理想郷があると、そう信じたのである。
 前述の通り、近代においても、ヨーロッパの人々は大西洋の向こうの新世界アメリカ合衆国へと理想を抱いた。今日においても、現代日本において様々な要因から日本に対して「住みにくさ」を感じる人々が、海外、または欧米、もしくは北欧といった具体的な地名が挙がることもあるが、世界の「どこか」に、時分にとって理想的な国があると信じて脱日本と海外への移住を試みるということも今日ネット上でよく取り沙汰される。あるいは、欧米人から見て、日本や東アジアの国々が理想郷として映ることもある。60年代アメリカのヒッピームーブメントでは、東アジアの「禅」の思想が理想的なものであるとして取り上げられることもあった。いわば、古代から現代まで、人々は「ここではないどこか」のユートピアを信じ続けているのだ。
 あるいはそれは人間の本能なのかも知れない。アフリカ大陸で産まれたホモ・サピエンスは、アフリカを出て世界中に歩を勧めた。氷河期のベーリング地峡を越えて、南アメリカの最南端に人類は到達した。あるいは大洋を越え太平洋の島々までにも渡った。かれらはみな「ここではないどこか」を求めて、歩みを続ける先にはきっと理想的な楽園があると信じて、移動し続けたのかも知れない。


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voiceofdrone at 14:08│Comments(0)エッセイ | 歴史

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