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2020年07月04日

【「再発見」される「普遍性」】「社会的普遍性」の忘却と再発見 ~普遍性の重要性~

「普遍性」とはなにか?普遍性のある作品はしばしば「再発見」される


「普遍的」であるということ


 物語、作品、そして作品のジャンルには、ある時代特有の価値観を超えた「普遍性」を兼ね備えた作品も少なくない。「生と死」「恋愛」「社会構造」「不条理」「格差」「戦争」「人種」「民族」、時代を超えた普遍性には様々なテーマがある。いずれもその作品が制作された時代を超えて、現在をもってしても理解しうる超時代性・・・それが普遍であるという事である。そのような普遍性を兼ね備えた作品はしばしば時代を超えて、再度注目されることがある。その中でも、筆者が大別するにあたって重要であると考えたのは「社会的普遍性」である。この記事では普遍性というものについて、浅学ながら考察してみたい。


自然的普遍性と歴史的普遍性、そして社会的普遍性


 普遍性は三つに分類されると考えられる。一つは人間という生物が生物的に逃れ得ない自然的摂理に基づく自然的普遍性である。つまり「生と死」とか「恋愛」、「病気」、「老い」などが分類されるであろう。これらは人間が人間である限り逃れられないテーマであり、古今東西の人間にとって文化文明を超えて理解しうる「大」普遍性ともいえるものである。近年ではコロナウイルスの流行によって、フランスのカミュの1947年の作品「ペスト」とか、ルネサンス期におけるやはりペストが関係したボッカチオによる「デカメロン」などが再度注目された事などが記憶に新しいだろう。とくに疫病というものは歴史の中で繰り返し人類に突きつけられてきた試練であり、時代を超えて見直されるテーマでもある。
 次に歴史的に形成された普遍性、これは例えば「宗教」であるとか「思想」「哲学」などに分類されるものである。これは先述の自然的普遍性のような、人類に共通するものではなく、ある文化圏によっては普遍性をもつテーマである。例えば「キリスト教」「聖書」などはその代表的なものであろう。もっとも近代において、世界の西欧化とも言える現象によって西欧的価値観が世界の普遍的価値観に繋がったという事もあるが、それでもやはり非キリスト教、非西洋圏の人間にとっては、「聖書」や「西洋哲学」をテーマとして書かれた作品などはこちらが勉強をしなければ理解し難い点があるなど、人類全体の普遍的価値観とは言い難いものであろう。つまり前述の自然的普遍性が「大」普遍性であるならば、こちらは「小」普遍性であるとも言える。
 さらに分類するならば、これが最も重要であると考えられるのであるのが、社会的普遍性、これは「社会構造」であるとか「戦争」「人種」「民族」に分類される、いわば自然的普遍性と歴史的普遍性の中間に位置する、人類社会に置いては一定の普遍性を兼ね備えているが、自然的普遍性のように人類にとって先天的ではない普遍、これは「中」普遍性ともいえるであろう。「強権的支配」であるとか「社会構造」の矛盾であるとか、「戦争の悲惨さ」とか、「人種問題」というものは、歴史を超えて理解され、また文化圏に縛られない世界的な普遍性を持ち合わせている。これらに分類される作品で思い出されるのはジョージ・オーウェルの「1984年」などである。この作品は「強権的支配」が行き着くところまで進んだディストピア小説の代表作であり、今日をしてトランプ大統領が当選した際にアメリカで再度ベストセラーになったり、(もっともトランプ大統領が少なくとも強権的支配を目指す人間なのかという疑問はさておいて)今日の中国のテクノロジーを利用した民衆支配などに合わせて再び注目が寄せられる作品である。
 以上、個人的に三つに普遍性を大別してみたが、この中で最も復活し再注目される「普遍性」としてとりわけ注目されるのは「社会的普遍性」であろう。自然的普遍性は古来から普遍性に過ぎて、作品の数にも枚挙にいとまがないために、あえて注目を向けるということがなかなか無いし、歴史的普遍性とは歴史を通じてある文化圏では今日まで通じるものであるから、それは復活ではなく、いまさら見直されるまでもなくその文化圏に根付いたものであるからである。

社会的普遍性の忘却と復活


 社会的普遍性を兼ね備えた作品は、時代を超えて「再発見」され、「先人の知恵」のように再度持て囃されることがある。しかし普遍性という観点からすれば、自然的普遍性と並んで人類に共通するものであるはずなのに、社会的普遍性に限っては、この現象が特有というか、特徴的なのである。一体何故だろうか? その答えは、社会的普遍性はしばしば「忘却される」からであろう
 「戦争」は太平無事な時代には忘れられるし、「強権的支配」は民主主義の世の中においては、忘れられる。「民族・人種問題」も、ある時期にムーブメントとして再燃しない限り、平穏な世の中の間では忘却というよりは「無かったこと」にされる。そういった人間の愚かさ故に、社会的普遍性は普遍的に記憶されるものではなく、時代によって「断絶」し、何らかの社会的危機が予期されるにあたって、再度「発見」されるのである。社会的普遍性を真に普遍のものとして人々が記憶しているならば、歴史は過ちを繰り返さないし、人類社会はもっと良いものになっていただろう。
 しかし人間の性質上、喉元過ぎれば熱さを忘れる。これはある意味まさに人間の自然的普遍性というか、性質なのである。だからこそ、真に愚かなのは、社会的普遍性を再発見することが出来ず、葬り去ろうとすることである。人々にとって歴史を学ぶ必要性というのは、歴史から社会的普遍性を見つけ出し、今日において警鐘を鳴らし続ける事である。太平無事な世の中で、求められていないものこそが、実は今の世の中に真に必要なものであったということが、歴史的にもままある。求められていないということは、忘れられているということである。忘れられているということは、再度過ちを繰り返す前触れである。筆者をして、歴史を見つめ直す時、あるいは生活の中で、社会的普遍性を忘却していないか、つねに問い続けたいものである。


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voiceofdrone at 06:51│Comments(0)エッセイ | 考察

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