【こんな映画を見た】Taxi Driver/タクシードライバー ~迷える男たちに送る名作映画~【エッセイ】サボテンが、花をつけている

2020年07月01日

【うつ病体験】うつ病患者が考える「うつ病思考」 ~あらゆる前提がひっくり返る「うつ病思考」の泥沼の実際~


うつ病は何が辛い? 筆者が体験した揺れ動く気分の波と「うつ病」思考の泥沼


  筆者はうつ病である。少なくともそう医師に診断されたし、それ以前からもずっと自覚症状はあった。さてこのうつ病という病気の何が辛く、なぜゆえ抜け出せないのかということを筆者なりに、うつ病でない方にも分かりやすくまとめて書いてみたいと思う。

 うつ病に限らず他の殆どの精神病には陽性症状と陰性症状の精神的な「波」がある。この「波」が厄介なのだ。もちろん筆者よりもより重症であるうつ病の方には、四六時中抑うつ状態に悩まされている方もいらっしゃるだろうから一概には言えないのだが、少なくとも筆者の場合には「波」がある。波が上向けばそれなりに活動することが出来る。これも精神医学の治療の賜物であるかも知れないが、調子の良い状態の時には「アレっ、自分もううつ病じゃないんじゃ!」なんて思うこともある。しかし、実際は波は流れて、必ずまた調子の悪いどん底の日々がやって来る。この落差が自分にとっては辛い。上げて落とされるというのが人間一番辛いものである。そして、真に辛いのは、調子の良い時の自分と抑うつ状態の自分との思考ルーチンの差があまりにもかけ離れてしまうことである。筆者もうつ病とは長い付き合いであり、とはいえまだまだうつ病のことを理解できないのだが、自分なりの経験則として、調子の良い時にはなんとか準備をしておく。抑うつ状態の時にも、なんとかしてキッカケを作って気分を上向きにさせることができれば、それなりに気分がマシになる事もあるからである。

 しかし… 実際にはこれはうまく行かないことの方が多い。なぜならば、抑うつ状態になると、自分の思考の前提がそっくり入れ替わってしまうからである。思考の前提、つまり、調子の良い時のなんとかなる、それほど人生悪いもんじゃない、自分にも出来ることはある、そんなポジティブに積み上げてきた思考が、抑うつ状態に突入すると全て瓦解する。一転して、自分には何も出来ない、なんともならない、結局こうなるのだから人生上手く行くはずがない、そして死すら時には考えてしまうのである。気分を上向ける努力も、する気にすらなれない。これほどそっくりと、思考の前提がひっくり返って悪化してしまうということは我ながら不思議なことである。

 ここで読んでいる方には疑問も浮かぶのではないだろうか。大局的には波があることが分かっているのなら、ただひたすら待って、耐え忍ぶのも手ではないか、という事である。確かにそうではあるのだが、実際には、抑うつ状態の時には一寸先は闇、どころか既に闇に包まれて奈落に転落したかのように錯覚してしまうのである。何もせず、耐え忍ぶという事がまず出来ない。焦りと不安と、無気力感から、何もしないどころか、調子の良い時に自分が積み上げてきたものを自分でぶち壊してしまう。
 筆者自身、その自らの破壊行為に何度悩まされてきたか分からない。例えば、長期の抑うつ状態から抜け出せないと、人間関係などは全て断ち切ってしまうし、進みかけていた仕事も放棄してしまう。作っておいたものも破棄してしまう。結局調子の良い時期に組み上げたものは元の木阿弥となり、その事自身がいつまで経っても何も成すことが出来ないといううつ状態の原因にもなってしまう。まるで自分が築き上げた迷路をずっとぐるぐると回っているようである。
 
 うつ病の克服には、自己肯定感が必要であると、医師からもよく言われる。しかしそもそも、この自己肯定感というものを気づきあげる事が難しい。うつ病の患者にとって、自分を少しでも肯定することは、それ即ち悪とすら思えてしまうからである。驕ってはいけない、謙虚でなくてはならない、という気持ちも、行き過ぎれば、何一つ自己肯定をすることが出来ないという事に繋がる。そしてうつ病の患者というのは、概してこの気持ちが行き過ぎる事が多いのだ。これは何故だろうかと考えた時に、筆者なりに思うのは、これもまた「波」があるゆえではないかという事である。
 調子の良い時には、しばしば開放感から、調子の良さが行き過ぎることがあるのである。いわば躁状態である。もっとも単なるうつ病と躁うつ病(双極性障害)というのは全く別の病気で、うつ病に躁状態というものは厳密にはないのだが、ただ実際は気分の波のゆえに、上向きの際には少々張り切りすぎて、上向きすぎてしまうことがあるのではないかと思う。この時に、自己肯定感を得ようとするあまりに、若干のナルシズムというか、なんでもない事までをも肯定してしまうのだ。この事自体、人に迷惑をかけない範囲であれば、傍から見れば別に問題ないだろうと思われるかも知れないが、実際これが、抑うつ状態に転化すると、その行き過ぎた自分をひどく恥じてしまうのである。そして結果的に、自分の行為の悪い点を粗探しし、自分は悪かった、悪くなければならないとすら考えてしまうのである。そしてこの自己嫌悪という行為そのものが、自己嫌悪する余地があるという自己という存在そのものにナルシズムを感じ、ますます自己嫌悪を重ねてしまうのである。

 気分の波の病気、うつ病。気分に波があるがゆえに、危険なこともある。多くの場合、うつ病や双極性障害によって自殺をしてしまう人間というのは、抑うつ状態のどん底にいるときではなく、調子の良い状態から抑うつ状態に向かう際、あるいは抑うつ状態から回復しつつある時期であるというのである。これは、抑うつ状態のどん底にいる時には、死のうとなどという気力すらないからである。しかし一旦調子の良い状態から自分が抑うつ状態に向かっている時、あるいは抑うつ状態から回復しつつあるとき、そんなときになまじっか気力がある時に、死んでしまおうとなるわけである。実際に筆者も、抑うつ状態のどん底のときにはひたすら死を考えるのみだが、実行の危険があると思われる時はこの時期に相当する。幸いなことに、これまで自分は自殺未遂などということは行っていない。だがこれも運の良さゆえであると思われる。少しでも気力がおかしな方向に向かえば、実行する危険性も無いではなかったと思い返せばそう思う。自殺、これは恐ろしいことである。そうひたすら自分に言い聞かせてなお、抑うつ状態の時には思考の中に死がちらつき、恐ろしいのだ。

 以上、うつ病というものについて、少なくとも筆者が感じているうつ病という病気の状態について大雑把に書いてみた。書いてみて思うことだが、この記事は、誰か他人のために書いたと言うよりは、筆者自身の心理状態を把握するために自らの心持ちを分析してみたというきらいが強いが、もしこの記事をここまで読んでくれた方がいるのならば、まず感謝を申し上げたい。そしてもしあなたがうつ病の患者であるならば、共にこの病気と戦おう。そしてあなたが健康な人なのであるならば、どうかこんな酷い理不尽な病にはかからないように、何か自分に気分のなかなか晴れない、少しでもおかしな状態があると思ったらすぐに療養に努めてほしい。うつ病はこころの風邪であるとも例えられる。こじらせなければ、治るのだ。筆者の場合はわからないが、いつかは治ってくれると、いまの心理状態では、そう願い、信じている。 


このエントリーをはてなブックマークに追加
voiceofdrone at 22:15│Comments(0)エッセイ | うつ病

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
【こんな映画を見た】Taxi Driver/タクシードライバー ~迷える男たちに送る名作映画~【エッセイ】サボテンが、花をつけている